十分な教育資金と老後資金のために

投資判断を下すにあたり、
自分が主体的に判断することがとても重要だと思います。

自分で判断がつかない場合、
そこに妥協をして投資行動に移ることは
私が大事にしている『納得性のある投資活動』において、
悪影響しか与えないと考えています。

主体的な判断がつかない状態で投資行動を起こしたとして、
その結果、儲かったとしてもそれは何らかの自分のストラテジに沿ったものではなく、
後に経験として残るものもなく、
むしろ偶然の賜物に浮かれてしまう点で悪影響だと思います。
儲かったことに対して例えば想定通りに企業収益が向上したとか、
市場の評価が増したといった納得性のある根拠にも乏しく、
なんで儲かったのかわからないという手応えが残らないのも、
納得性を損なう要因だと思います。
こういう偶然は継続性のあるものではないために、
自分が納得できる範疇で利益を求めていくことが大事だと捉えています。

また、主体的な判断が曖昧な状況で、結果的に損失を出した場合、
とにかく自分を呪うでしょう。
なぜ、あの時自分の中で合理的な判断が伴っていなかったのに、
こんな失敗を犯してしまったのかと。
場合によってはその判断が他人からもたらされたものだとすると、
その他人に罪はないのにその方を恨んだりして支離滅裂な状況にも陥るかもしれません。
そんな中で、もちろん納得感は得られませんし、
その失敗を通して学ぶことは、自分自身を如何に自制させるかという、
精神行動面での反省となり、これは理解していることの反復であり、
辛いものであることは、
今でもこんな失敗経験する私も十二分に身に染みています。
(こういう失敗がたまにあるからこそ、自制心が継続するのかもしれませんが)


やはり、結果がどう転ぼうが、
納得性を伴う形で主体的な判断を行うことが、
継続的に株式市場と向き合う上で大切な心掛けと認識しています。


では、主体的な判断を行うためには、
どんな取組みがよいのかということですが、
いくつかの次元(レイヤー)に分かれると考えます。

もっとも低いレイヤーでは、
枠組みを決めることだと思います。


枠組みとはつまりルールのようなものですが、
そのルールに従った行動であるか否かを判断基準として持つことで、
一定の判断が自然となされます。
但し、このルールは自分で決められたものである必要があります。

自分で決めた枠組みであれば、
その優劣の程度によって客観的な妥当性には差異が認められるかしれませんが、
自分の中で合理的に判断したという形には至り、
納得性のあるものになると考えます。


ルール自体を誰かが作ったものだとして、
例えば、10%で損切り、20%で利益確定という
極めて機械的なルールだったとすると、
そのルール自体に思い入れや自分の中でのコミットメントがないと、
結果に対しての納得感は得られません。
結果だけを見てその比率をチューニングしてみたり、
テクニック的な手法を追い求めてしまい、
自分のスタンスに応じた合理的な判断基準は醸成されません。

しかし、自分で熟考した結果で制定したルールであれば、
仮に機械的なルールだったとしても、
納得感は伴いますし、
そのプロセスでよりルールをブラッシュアップする活動にも
活かすことが出来ます。
このことは、中長期的に投資家として成長するためにも、
中長期で資産を築いていこうとするためにも重要なポリシーだと思います。

もちろんルールに準拠という点で、
意思決定の際に複合的な視点が伴いにくく、
より複雑化した状況の中では改良の余地が多分に存在する可能性がある点では、
この枠組みを決めることによる対処は、
次元の低いレイヤーだと捉えています。
自分で決めたとはいえ、それに準拠していればよいという、
一種の甘えのようなものも誘発しますからね。

私もルールとして、
ポートフォリオのPER水準、東証1部のPER水準を2軸で見て、
機会的に自分の投資スタンス上の目安としての現金とベアETF比率を算出して、
それをポートフォリオ構築の判断基準においています。
(詳細は投資方針に掲げています)

ですが、例えば世界経済全体のことや、
その時の自分のポートフォリオ構成に応じて微調整をかけるなど、
もっと複合的な要素をルールに加味させることで、
より理想に近い運用が出来ると捉えており、
今はこのルールにただただ厳格であろうと思っている点では、
まだスキルに応じた応用力のない低いレイヤーの域であると自覚しています。


ただ、このルールを定めていることで、
確かにベアの取引などでの一喜一憂はなくなり、
自分の決めたルールに準拠した意味で合理的な行動と捉えられるようになると、
今の状況への納得感はそれなりに得られており、
低いレイヤーではありながらも、一定の効果があるようにも感じています。


さて、より高度なレイヤーで主体的判断を行うためになすべきこと、
そのひとつは知見を広げることだと思います。

ここで言う知見とは単に投資スキルに限った話ではなく、
今私が本を読み漁っているアドラー心理学の知見でもよいかもしれません。

他人の課題と自分の課題を切り分けることの重要性というか妥当性について深く考え、
他人からどう見られているかといった邪念を取り払うことに、
より強い意識が向かうことにより、
精神面で自立し、それが主体的判断へのモチベーションにも繋がるはずです。
事実このような考えに感化され、よりその意識が強まりました。
(もちろん感化されることによる弊害も意識せねばなりませんが)

経済学や政治学の知見についてはより投資において実践で活きるかもしれません。
私はご存知の通り(?)これら文系学問について全くの素人です。
中東の政局不安の情勢がどういう状況なのか、
その中でなぜ原油価格がこんなことになっているのか知る由もありません。
経済学に照らした時に、世界経済がどのような状況で、
ではそれは過去の歴史を鑑みた時にどれ位奇異なことが起きているのか理解していません。
そんな理解していないことだらけの中で、
つまり知見の基盤がごく限られた中で、
いくら思考を重ねたところで、想像性は豊かになるはずはなく、
従って主体的な判断の根拠の幅も出にくく、安易な判断しか導出されません。

思考を深める努力をするという前提の中で、
知見を広げてより想像性に富んだ思考が出来ること、
また主体的という意味により深度を持つことが、
主体的判断を下す上で肝要なことだと理解しています。

ですので、現状やっているように銘柄分析を行い、
そこからある程度画一的な方法で目標株価を算出し、
ある程度枠組みを設けた中で取引根拠を見出していくこと、
これに遵守するという低次元のレイヤーでの主体的判断だけでなく、
広い知見をバックボーンにして判断をしていくことが、
より自分が納得するという点で重要だと思います。


株式投資を始めて2年余りですが、
今の結果に対して良し悪しを評価してもあまり意味のないことです。
それより、この2年余りにおいて、
どれだけ主体的な判断による納得感を得られるようになったか、
この点を重視したいと考えています。

最初の1年は主体的判断以前に、
主体的判断をしていても目先の結果にすぐにそれを反故にして
右往左往する日々でした。
2年目になり、そこから学習によって右往左往しないで済むように、
主体的判断をより重視できるように考える取組みを重視してきました。
これによって投資方針を徐々に形にさせていく中で、
3年目の今年は、それをある程度明文化した上で、
まずは低い次元ながらも枠組みを明確に定めて今に至っています。

この期間においての試行錯誤において、間違いなく、納得感は増しています。
低い次元ではあるものの、つまり枠組みに頼ったものであるものの、
納得感は得られるようになりました。
今後はより高い次元を目指して、優秀な投資家さんが勉強家であるように、
私も知見をもっと広げて、株式投資というモノに対して視野が狭くならぬように、
意識的に取り組むことで、主体的判断を豊かで強いものに鍛えていきたいと思います。

このことが投資結果として必ずしもリンクはしないかもしれませんが、
納得性の高いスタンスを継続していくことで、
長期的に見ればきっと目標に近づけるものと考えています。

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