投資方針に忠実に退屈な投資で資産形成

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今回は抽象的なテーマについて、つらつら思いを述べていきたいと思います。


突然ですが、私はアマチュア写真愛好家なのですが、
以下の写真をみて、どう思われますか。

IMG_0161-Edit.jpg


この写真は私の写真ブログに最近UPした写真ですが、
何の変哲もない田んぼの様子を映したものです。


綺麗な写真だなと思って下さる方もいれば、
写真を絵画調に表現するなんて邪道だと思われる方もいるかもしれません。
そもそも構図や色味を好まないなんて方もいるでしょう。
それ以前に写真に全く興味ないので、何とも思わないという無関心の方もいるでしょう。

写真に限らず音楽やスポーツ、ゲームなどあらゆるものは、
自分の心の中にある感性で好きか嫌いか、どちらでもないかということで、
物事を仕分けしているのだと思います。

この写真は、今の私にはこんな豊かでのんびりした世界が、
とても美しく、もしこれに共感して下さる方が1人でもいれば嬉しいなというくらいの気持ちで
シェアしているものですが、その根底には誰にも理解されずとも、
自分の心が満たされているという大きな揺らぎない満足度が存在しています。
そしてこれは他の誰の感性にも侵入せず、迷惑をかけずとも成立しているものでもあります。


さて、投資家界隈では、相変わらず「人を叩くこと」が横行しているようです。
私は基本的に「人を叩くこと」は自らの自信の欠如が根底にあるのだと思っています。
それは投資手法でもあらゆる言動においても全てそういうものだと理解しています。

自分と他人は違うものです。感性も違いますし、物事への志向性もまるで違います。
ですから、多くの事象において、自分ではそうしないなといった反対の立場となる人が生まれます。
これは健全ですし、自然です。しかし、だからといって自分の価値観で他人を「叩く」ことの意義が
どこにあるのか、私には理解が出来ません。
違った視点をコミュニケーションによりキャッチボールすること、
あるいは事実として誤っていることがあれば、相手が意図せず陥っているのではないかと想像して
優しく指摘を差し上げることにより、SNSといった顔がみえないツールの上でも、
建設的で創造的なやり取りが出来るものと思いますし、それが魅力なのだと思います。
決して「異」を「叩く」ことがあるべき姿だとは思えないのです。
そして「叩く」という行動しかとれないケースでは、「他人の課題」と「自分の課題」が
分離出来ていないのではないかと思うわけです。
それを自信の欠如と表現をしています。

写真の例では、仮にこの色味は好まないとか、写真のセオリーとして云々というアドバイスを超えた
「叩き」に見舞われても、私には自分自身の圧倒的な満足度がベースにありますから、
何ら気になりません。むしろ、素人写真家に対して嫌いという主張を「叩く」ことですら表現できないとしたら、
その方の写真への向き合い方とか自己の確立を疑います。
優しくこういう表現を加えるとよりいいかもとか、その方の世界感を押し付けるわけでもなく、
でも新たな見解を重ねていくことこそ、「叩く」とは違う建設的で創造的な世界に繋がると思うわけです。


かねてから賛否の議論も多いZeppyチャンネルというものがあります。
直近でも以下のような動画がUPされており、この予告だけで該当銘柄の値動きが大きくなり、
様々な心証を与え物議をかもしたわけです。




企業のことを知れるいい機会をありがとうという支持の声の一方、
値動きに影響を与えて迷惑というネガティブな意見もあったようです。
そして煽ることへの是非など言動そのものの背景にある疑義にまで可能性を上げ、
ああでもない、こうでもないと意見が噴出しているようです。
そもそもyoutuberへのアレルギーもあるようですね。

もちろん、真面目に迷惑と思っている方もいるでしょうし、
こういう機会があることをありがたいと思っている方もいるでしょう。
あるいはやっかみのような感情を抱いている方もいるでしょう。
こういった反応が出ること自体は、健全で自然な事だと思っていますし、
ご自身の課題に基づき、その良し悪しを発信することはなんら問題ないと思います。

しかし、その自己主張の範疇を超え、相手の存在そのものを否定したり、
言動を全く関係ない他人が抑制を要求したりする、いわゆる「叩き」には疑問があります。


その意図がどこにあるか、私も真意はわかりませんが、
少なくても何らかの意図があってZeppyさんもまたご自身の課題に向かって
行動を取られていると思います。
それを他人が自らの課題に沿うか沿わないかという尺度でもって、
相手の課題に侵入して主張を超えた叩きをすることはあるべきことでもないですし、
そうしなくてはならないというくらいにその方自身が行き詰っている証左でもあると感じます。


なお、異を唱えるなといっているわけではありません。
異論があるのであれば、普通に指摘をすればいいことです。
全否定して存在そのものを消そうとしなくてもいいわけです。
むしろ異論はどんどん交わされ、その中で、発信者の課題に基づき考え発信を続けられることが、
理想ではないかと思っています。



株クラでは有名な株1000さん。
私も最近ツイキャスというものを何度か拝聴させて頂き認知いたしました。
圧倒的な支持者がある一方で、徹底的に叩いてやろうという立場もまたあるようです。
しかし、私が感じる所では、そんな叩きにもめげずに自分を貫かれているように
お見受けしています。
私自身にとっては、とても共感する部分もあれば、違和感を感じるところもあるわけですが、
でもそれはとても健全なことなのです。
私と株1000さんでは向き合っている課題も違いますから。
私は株1000さんとも交流はなく、
私自身が彼のように流暢とは真逆のコミュ障なものですから、
行動には移していませんが、異なる部分を叩くのではなく、
なぜその人がそう考えるのかといったことを窺うことが出来ればいいなと思っています。
それによって、自分が自己を見つめる機会になるかもしれませんし、
そこには「叩く」という概念はやはりありません。
違うものをおこがましくも正してやろうというほどに、
自分が思い上がってることはなく、
違うものをそういう考え方もあるのかと受け入れ、自分の中で咀嚼する、
場合によってはコミュニケーションの中で理解を深める、
その上で自分の素地を確かめるくらいがちょうどよいのではないかなと思います。


ツイッターでフォローをしているあるお方。(迷惑をかけたくないので敢えて挙げませんが)
日々企業の分析に励まれていて発信を続けています。
色々割り切るところを割り切りながら、しかしご自身が大切と思うポイントを絞り、
分析を続けられています。
しかし、ある1社について内容に誤りがあったようで、指摘された方とのやり取りを通して、
これを訂正されるといったことがありました。
そのやり取りがどのような温度感で交わされたかは定かではないのですが、
その分析主の方はご自身の誤りにひどく落ち込んでおられるようにお見受けしました。
本来、一個人が分析をしたところで、誤ることはありますし、
むしろ誤りがあって当然だと思います。
その方にとってはそう映ったわけですから、
それが事実と違うのであれば、あるいは違った見方があると気が付かれた方がいれば、
それを優しく指摘すれば、違うものは違うという気付きになり、
建設的で創造的なものになると思うのです。
今回「叩き」といえることがあったかどうかはわかりませんが、
人が起こす行動に誤りがあることは当然でして(それは事実誤認というものから、
株価が騰がるかどうかの選定に至るまで)、
それを安易に他人が「叩く」という構図になってしまうのが残念です。

私は拙い理解で企業分析を進めていますが、
これに対して温かな声を頂くこともあるのですが、
一方で、分析力がまるで糞とか、ピントがずれているから儲からないとか、
いわゆる「叩き」に該当することを言われた経験もあります。
私はかねてから自分が誤っている可能性に言及し、
だからこそ、多くの方に指摘を頂き、自分の理解を正していきたいし、
もっと広く視座を持つためのきっかけになればと思って今も活動をしています。
これは私自身の課題であるわけですが、
それに対して、私自身の実力が糞とか、儲からないという指摘は、
私の課題の範疇外であり、残念な声だなと一時期受け止めていました。

しかし、私自身が投資家としてこうありたいという姿勢があって、
自分の課題が明確であったが故に、
他人の課題からの指摘(叩き)が全く気にならなくなりました。
それより、より多くの方が私の発信を通して、こういう考え方もあるよとか、
この部分は違っているのではという提起を頂くことに集中したいなと思ったのです。
それが私の課題でもあり、活動の根源でもあるからです。
残念ながら、まだそのトランザクションは少なく、なかなかお付き合い頂ける方が
少数であるのですが・・・。



「叩く」ことは自信の欠如。
これはずっと感じていることです。

Zeppyさんの動画主体の発信に対する叩きもそうでしょう。

価格形成に影響を及ぼし迷惑という指摘。
もし超長期の立場であればそこまで気にならないでしょう。
そして、短期の方からすればそういった外部要因で一喜一憂するのが短期株価であり、
そのボラで勝負をしているのであれば、とやかくいうことではないでしょう。
Zeppyさんに限らず、自称youtuberから二億貯男さん、
あるいは証券会社や株探さんなどいくらでも株価は動きます。
その一挙手一投足を叩くことでしか、自分の課題に向き合えませんかと思うわけです。
株価のボラの前に自分の対処方針が明確になっていれば、
それを活かすもスルーするも自由ですし、そこには確固たるものがあるはずです。


動画主体では考える投資家が減り、イナゴ量産の懸念があるなんてのも、
自分の課題に向き合ってる中にあれば、それをいちいち叩くような代物ではありません。
多かれ、少なかれ人は人の意見に影響を受けますし、それは私も同様です。
それがそれぞれのレイヤーでどう行動に移すかは、各自の課題感の範疇でのことです。
ですからそれぞれの受け手が自らの尺度で扱い受け止めるべきものであり、
自分自身が投資家としてこうありたいというのがあれば、
他人である投資家がどう形成されようと自分が向き合う必要のないことです。
むしろ他人が気になり過ぎるということは、自分が保ててないということにもなりうるので、
自分が自分として確立できていれば、さほど気になることではないのではないでしょうか。


「叩く」ということとと指摘をするということは紙一重かもしれません。
そしてそれは発信者と受信者の感じ方という側面もあります。
しかし顔の見えないSNSでのコミュニケーションですから、
私は闊達に意見を交わす中に、配慮があって、相互に満足度があがるような
世界があればいいなと思います。

「叩く」ことで生まれるものとはなんなのでしょうか。

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