投資方針に忠実に退屈な投資で資産形成


常に自分の言動の先に創造されることを想像し、
その目的がどこにあるのかを推し量ることは、
とても退屈な生き方かもしれません。

そして歳を重ねるごとに、
そんな退屈な思考回路がより定着していっている気がします。
しかし、退屈ではありますが、
それも自分が自然体でそうであるわけなので、
そんな自分を否定して、意識を高く持ち、
そうではない理想の自分へGAPを埋めようとするのは、
ストレスの素ですから受け入れようとも思っています。

このマインドは、意識高い系が集う投資家界隈では、
少数派な意見かと思いますので、
そういう方はぜひ失笑頂ければよいかなと思います。


ある事象に対して、共感とか対立とか、
あるいは自己保身とか、虚勢をはって優位に浸るとか、
様々な立場を取ろうと反射的に思考が働きます。

会社員として生活していると、
様々な理不尽なことも多いわけです。
他者が起因のネガティブなことが巡り巡って、
なぜか自分が悪者の矢面に立っているとかですね。
こんな時に自分は悪くないと抗弁したくもなりますし、
真実を全て明かして自分への疑惑を晴らしたいと思うのが人情です。

あるいは、自分の挙げた功績が、
なぜか他の誰かの名誉に置き換えられたりもします。
その対象が尊敬する上司だったり同僚だったりすると笑って許せても、
よりにもよって姑息な嫌なやつだったりすると穏やかでなくなったりします。
本来は自分が称えられるべきと思っていても、
実際には自分に全く日が当たらないなんてこともサラリーマンであれば
よくある話だと思います。


投資家としても同じようなことはあります。
私は常にマイペースで地に足の付いた投資を続ける決意を持っています。
平凡なサラリーマンが特段特別な知識がなくても、
あるいは敏腕と呼ばれる特殊な方々との交流がなくても、
退屈な投資から着々とゆっくり積み重ねるやり方を
ひたむきにやっていったその先にどんな生き方があるのかを、
皆様に笑ってみて頂けて、そこから何かを感じてもらえればいいですし、
そんなくそ真面目な投資家の卵のような私へ、
叱咤激励を頂ける機会があるのであれば、嬉しいなと思って
情報発信を続けています。

しかし、中にはこんな退屈なやり方に批判を受けることもあります。
そんな時には、時に抗弁をしたくなったり、
逆に自分と異なる立場に対して自分の尺度で批判返しの感情を抱くこともあります。


サラリーマンでも投資家でも人との繋がりは大事のようです。
処世術なんて言葉を高校生の頃に学び、
どうやって周囲の人間とうまく折り合っていくか、
あるいは自分が優位な立場になれるように、政治的な要素が大事である、
なんてこともコミュニティを形成していく中で、自然と学んだものです。

しかし、一方で最近、歳を重ねていく中で、
そんなものへの違和感が日に日に高まり、
サラリーマンとしても投資家としても、本質的に大事なことはなんだろうと
考えるようになりました。
言動の先にある自分が果たしたい目的とはなにか。

最近ではSNSも発達し、そこから生まれる様々なコミュニティはより簡易になりましたし、
またその質も上がっています。
多くの思惑や情報が交錯する中で、そこに身をおくことで、
沢山の刺激や自己成長の機会もあると思うのですが、
一方で自分の言動の目的を考えるようになり、
それを突き詰めていくとどんどん退屈な発想になっていきます。


ちょっとわかりにくいですよね。
(私の文章力のなさの問題なのですが)


例えばサラリーマンの例ですけど、
自分が根拠なき批判に晒された時の話ですが、
その時に抗弁をすることは簡単です。
20代の血気盛んな頃であればすぐに自分の中での正義を振りかざし、
真実こそ正義だと抗弁していました。
それによって自分を保身することも出来ましたし、
それが社会で生きていくことだと信じていました。

しかし、最近では抗弁しようと思った所で、
その抗弁をするエネルギーはもとより、
それによってその後どういう変化が起きるのか、
それが自分にとって大切なことなのか、
その言動の先にある自分が感じる目的とは何かなんてことを
考えるようになったのです。

真実を語り、自己保身を成すことに、
何の目的があるのか。
私はその批判元の人に気に入られたい?
いや気に入られる必要はどこにあるのか?
私は窓際族を決め込んでいるので、
そもそも悪者になったって痛くもかゆくもない。
なんのために抗弁するんだっけ?
物凄いエネルギーを使い、様々な新たな軋轢を生むリスクを冒して、
果たしたい目的とはなにか。

そう考えると急に抗弁して正義をかざすことが、
とてもくだらないことのように笑えてきたりもします。

これは冷めた対応としてよろしくない兆候なのかもしれませんが、
しかし、自分がどうしたいという目的意識が薄い中では、
そこにエネルギーを使おうなんて発想にはなりません。


投資家としても同様です。
最近ではSNSで様々な投資スタイルが存在しており、
それはその人にとって正解なのでしょう。

ですから各自のやっていることへは尊敬の念を持ち、
認め合っていればよく、自分がどうあるべきかこそに
目を向けるべきなのです。

時には、あまりに自分と異なる立場に対して、
勉強になると思える時もあれば、
率直に申し上げて逆に腹が立つこともあるわけですが、
そんな感情をいちいち私は表明しないことにしています。
(たまにツイッターでは表明しているかもしれませんが(笑))
このことも、それを仮に表明した所で、その先に何をもたらしたいのか、
その目的がはっきりしないのです。
そこまで自己主張を貫くことが、自分にとって何になるのかということです。
そこで果たされる目的が、単に自分が優位であることを実感するためという
独りよがりなものであるならば、逆にくだらない営みだと思うわけです。
建設的な議論を異なる立場で議論することで、
何か新たな知見を得ることが目的であれば、
そういう前提で議論の準備をした上で、
相互の立場を十分理解してなされるべきで、
気まぐれで触れた異なる意見への批判や共感について、
行きずりでなすべきことでもないでしょうと思うわけです。


何を言っているのかよくわからないかもしれませんが、
日々生きていく中で、様々なしがらみや環境の中で生きていく上で、
自分の中の正義を振りかざすことは、
自分を通すという意味でその時は悦に浸れるかもしれませんが、
そこに自分が果たしたい目的のようなものを明確にイメージした方が、
より自分の言動について、自分にとっての適確性が増すのかなと思います。

また、自分の正義だけではなく、
他者への信仰や従順、あるいは敵対といった関係性構築についても、
そういう感情に対して、自分がその先にどうありたいのかといった視点で、
言動を決めていくといいのかなと思います。

そんなことをいちいち考えて取るべき言動を決めていると、
どんどんと無難で冷めた対応となっていく気がしますが、
所詮、他者との関わりというのは、その程度割り切って
付き合っていくことなのかなと思います。

こんな思考回路だから、私は自分のことをコミュ障だと自称しています(笑)。

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