投資方針に忠実に退屈な投資で資産形成
※投資以外のネタとして、現在連載記事をUPしています。
なお、当記事で連載終了となります。


あとがき

第10章 告白 <<   はじめに戻る  



なつみさんとのその後がどうなったのか。
そもそもどのように想いを伝えたのかは、敢えて伏せました。
ここは皆さんのご想像にお任せします(笑)。

学校の文化祭というひとつのイベントにここまで傾注してきたという経験は、
なかなかイメージがしにくいかもしれません。
題材としては部活とかの方がより青春としてイメージがしやすいと思いますが、
あくまで「私の青春」という回想録なので自分自身の経験を忠実になぞりました。

前半で登場したたかゆき先輩は、
物語ではやや私との関係性は冷えた印象を抱かれたかもしれませんが、
実際には、ストーリーの中では割愛してしまいましたが、
その後の交流会でも面倒を見ていただきました。
様々な立場から何度も相談をして的確なアドバイスも頂きました。
今でも年に1回くらいは旧友を深めています。
ありがたい先輩に巡り合え、自分の性格上、馴染まない渉外という部門を
叩き込まれたことが交流会への発案に繋がっていきました。
貴重なご縁を頂いたなーと今でもよく回顧しています。

タツヤは私とは全く違うタイプの人間で、私に多くの刺激を与えてくれました。
衝突することも多く、物語においても一部触れましたが、
何度ももう一緒にはやれないと思ったものでした。
しかし、なんともいえないカリスマ性のようなものがあり、
結局最後まで切磋琢磨し、二人三脚で走り続けることが出来ました。
これには周囲の参加者からの様々なフォローや支えがあり、
そういったコミュニティのありがたみもとても貴重なものとして経験できました。
この経験は、自分と異なるタイプの人間とどう対峙して、
自分の中の釈然としないことをどうぶつけ、その中でどう折り合っていくのかという
基本的な人間関係の進め方を学んだ気がします。
今でも、自分と異なるタイプの人間にも一定の許容度を持ち、
むしろ興味関心が向くのはこのような経験から来るものなのかなと感じています。

新井さんは同年代でとても美人な方でした。
物語でも触れたように長身でモデルのように小顔なんですね。
今回の物語でこんな逸材をほとんど描写できなかった、
というか一度は描写をしたのですが、中途半端になってしまうのと、
更に文字数が増えてしまうのでごっそり落としました。
物語ではわからないと思いますが、他のメンバーも同様ですが、
友達として仲良くなって、高校を卒業後、彼女とも交流は続きました。
実はそんな繋がりが新たな人生のドラマに変わっていきます。

そして、なつみさんですね。
まぁ当然主人公である私目線で書かれているので、
バイアスがかかっているのは否定しません。
でも私のこの期間の青春において間違いなく輝いていました。
書ききれないエピソードも沢山あるのですが、
泣く泣く物語からは割愛しました。
その後のことも含めて、私の思い出として大切にして、
その後については深くは言及しておかないことにします。

また自校の文化祭の準備そのものについては、敢えてフォーカスしませんでした。
実際には自校の準備でも大変な苦労があり、ドラマがありました。
そんな中で交流会との二束のわらじで活動をしていました。
勉強を一切せず、学校に泊まるなんてことも多かった不良学生でしたから、
成績は見る見る落ちて、高校2年の秋の模試では偏差値30まで落ち込みました(笑)。
失うものもありましたが、それに余りある得られたものも大きかったですね。

物語は途中途中で私自身が感じた教訓のことへ言及しています。
総合的な活動を通して、大人になった今でも生きている価値観や、
物事の対応へのスタンスなどが築かれているなと改めて感じます。
高校生という多感な時に、また大人と子供の狭間にある中で、
社会的な面も含めてなかなか経験出来ない機会に触れたことは、
その後の私の社交性を活かす大学生活の礎にもなりました。

執筆の事にも触れておきます。
この物語は概ね全体で8万字となりました。
これを概ね累計で24時間程度で書き下しており、
最後に若干の修正を施しており、それを含めるとだいたい30時間くらいになると思います。
こんなに時間を使ったのかと、その無駄な営みに驚きを抱かれるかもしれませんが、
私にとっては、こんな程度の時間で、タイムスリップして当時を回顧できることは
とても恵まれて幸せな時間でした。
もちろん、おじさんの青春回顧に需要がないという自覚もあります。
投資ブログにおいて趣旨に反してこんなに連投することにも躊躇も多少はありました。
しかし、投資家としての私の人格や性格に至る部分までを出来るだけ
読者の皆さんにも知って頂きたいと思っており、わがままをさせて頂きました。

冒頭にも記載をしましたが、
この長文をここまで耐え抜き、読破された方はいらっしゃらないと思います。
しかし、部分的にも目を通して下さった方がいれば嬉しいです。
そして、その方にとっての青春の思い出が心のどこかに小さくとも蘇り、
ほっこりして頂ける機会が生まれてくれていることを祈っています。


追伸
もし何か一言でも感想を頂けると大変嬉しく思います。
もちろん、非難でも構いません。


 
※投資以外のネタとして、現在連載記事をUPしています。
今回の更新と明日のあとがきで終了予定です、興味ない方はスルー願います。


第10章 告白

第9章 混沌 <<   はじめに戻る   >> あとがき


勢いに任せるからやれることがある。
感情が高ぶっている時だからこそ、一歩が踏み込めるものだ。
大きな意思決定は周到な準備を重ねた先にあるものであり、
最後の決断は勢いであり感情的なものであったりする。
緻密な積み重ねと大胆さの双方がなければならないのだ。

これは間違いなく恋愛感情だった。
私はなつみさんに恋をしている。
紛れもない事実であり、今ではそれは誇らしかった。
最初の出会いから、ドキドキ感の伴う惹き込まれた普通ではない感覚があった。
その出会ったときから予兆はあったが、どこかで確信は持てなかった。
いや、受け入れてはならないものとして、
自分の気持ちに大きく重い蓋を被せていたのかもしれない。

しかし、沸々と湧き上がる感情が気化した際の蒸気の力は生半可なものではない。
そんな重厚な蓋も弾き飛ばすほどに、熱く盛んに発散するエネルギーを持っていた。

今、私はそれを晴れ晴れと自分の中の確固たる感情として受け入れることができたのだ。

恋焦がれることは恥ずかしいことではない。
むしろそんな自分の全てを捧げたいと心を傾け、
苦楽の中をどこまでも共にありたいと思える人がここにあることは、
生を授かった奇跡のように、運命が与えてくれた巡り合わせなのだ。

ちょうど1年前。
私は帰路につくなつみさんに、連絡先を聞くだけですったもんだした。
駅の改札口で大声でなつみさんの名前を叫んで呼び止めた。
そんな勇気とは比べ物にならないくらいの勇気が、
1年の年月を経て、今こそ必要なときだった。

「落ち着いたかな。」

どれくらいの時間が経っていたのだろうか。
なつみさんが私の傍らでそっとささやいた。
私は自らの感情で溢れた涙で湿ったそのハンカチを
どうすればいいかわからなかった。
洗濯をしてあとで返すべきかと思った。
そんな様子に気が付いたのかどうかすらわからなかったが、
なつみさんは、そっと私の手からそのハンカチを手に取り、自分のバッグにしまった。

「ありがとうございます。色々な気持ちが交錯してしまって・・・。
それに、なつみさんが急にここにいるものだから、緊張の糸が一気に切れて、
去年から今までの1年のことが思い出されて、泣いちゃいました。」

私はよくわからないことを言っていたかもしれなかった。
でもそんなことはどうでもよかった。
今の感情など、どんな言葉を選び紡いでも、
自分の心情を説明するには無力だった。

「ふふふ~、本当にお疲れ様だったね。」

なつみさんが笑い、労ってくれる。
私はただその言葉に救われ、笑顔に陶酔し、なつみさんの存在そのものに魅了される。
私の傍らに寄り添ってくれていたなつみさんを、
改めてまじまじと見つめる。
白い肌が透き通っていて、相手を気遣うことの出来るやさしさが表情に満ちていて、
手を伸ばしたくなる衝動に駆られるほどにかわいらしかった。

「ちょうど1年前、ここでなつみさんに労ってもらいましたね。
あの時、とても嬉しくて嬉しくて、心が躍る気持ちでした。
そしてあの時も、なつみさんがやさしくしてくれたから、僕は一歩を踏み込めました。
色々苦しいことばかりだったですけど、でも、こんなにステキな思い出が出来ました。」

心が躍るという表現は私としてはだいぶ突っ込んだ表現だった。
ただ、事実として心が躍っていた。
いや、むしろ躍るというのは控え目だったかもしれない。
不意にもう会えないと思っていたなつみさんが目の前にいたのだから、
あの時はドギマギしているしかなかったが、今は心だけでなく全身が躍動し、
空を舞えるような気さえしたのだ。
あなたを前に空に舞うくらい嬉しかったという表現は、
単に今、なつみさんを困らすだけかと思い、
本望ではなかったが、これでも本心をマイルドに表現したものだった。

「私にとっても他人事とは思えないくらい嬉しいと感じているよ。
あの時に声を掛けてもらったことがきっかけで、
こんなにも私にとってもステキな思い出になったことに感謝しているよ。
それにしても、心が躍るって随分憎いことを言うようになったんだね(笑)。」

なつみさんは、最後にいじわるを言ってみせた。

「いやいや、本当に心躍る気持ちだったんですよ~嬉しかったんですよ~。」

私は自分の素直な気持ちだと、そこは訂正しておかねばならなかった。
いや、実際のところは、空を舞える位に心だけでなく、
体全体が喜びに満ちていたという『真実』は告白できなかった。

「でも、なんでそんなに嬉しく思ってくれて、、、いたの、かな。」

胸のドキドキが一気に高まった。
なつみさんはもしかしたら、私が気持ちを言い出すきっかけをくれたのかもしれない。
いや、私の勘ぐり過ぎかとよくわからなくなり、混乱した。

なつみさんには、薄々、私の真実の気持ちは伝わっていたのかもしれない。
だから自然な形で自分の思いを告白するチャンスだったのだ。

しかし、いざとなると言葉が出てこない。
そもそも、何を伝えるのだろうか。
好きだという恋愛感情はもはや揺ぎ無いものであり、
この溢れ出る想いを伝えたいのは間違いがない。
ただ、それを、『好きだ』という一言でおさめるのは、
的確ではあるのだが、とても十分だとは思えない。

そして、感情をぶつけるだけでいいのか。
受験生という大事な時を過ごすなつみさんへ交際を申し入れるのか。
それは相手の立場を尊重し、配慮がある言動なのか。
いや単に自分の度胸のなさを環境のせいにしているだけではないだろうか。
ならばやはり気持ちだけ伝えればいいのか。
しかし、投げっぱなしの気持ちの伝達でよいものなのか。
そんなややこしいグルグルの渦に私は苛まれた。
あまりに突然の再会だったこともあり、私は踏み込めなかった。

「あの時はですね、なつみさんの学校の文化祭でキラキラしたものを感じていて、
そんなヒロインとまた再び会えたことがとにかく嬉しかったんですよ。」

なんとも冴えない応対をした。
テレビのドラマのシーンであれば、頭を引っぱたきたくなるセンスのない受け流しだった。
こういうところで決定打を打てない自分は男としてやはり未熟だったのだ。
これは一気に幻滅をされてもおかしくないと思った。

「ヒロインだなんて、恥ずかしいね~。でも再会をそんなに喜んでくれていたのなら嬉しいな。」

穏やかな笑顔でなつみさんは答えた。
なつみさんは、大人の対応だった。

私は大きなチャンスを逃したのだった。
でも、やはりどう伝えてよいかわからなかった。
言葉も浮かばなければ、勇気も出なかった。

その後は思い出話に花が咲いた。
たった一年であったし、なかなか会えない時も長かった。
それでも多くのことを話題に盛り上がることができた。
時の長さはたいした問題ではないのだ。
過去を回想する時、それは美化される。
ひとつひとつの思い出は、苦労のばかりのはずなのに、
なぜか全てがよき思い出となっていた。
そんな過去を談笑し、私たちは歩き始めた。

途中、交流会のメンバーや後輩たちがたむろしていたので、
交流会の反省会と引継ぎのため改めて集まろうなどと事務連絡を交わした。
私となつみさんが共にあることを、誰も不思議にも思わなかった。
私はなつみさんと校門のゲートを潜り、駅に向って歩き始めた。

一年前と同じ光景だった。ただ少なくても私の心持ちは大きく変化していた。
私はなつみさんの連絡先を聞きだすために、
一年前、緊張して同じようになつみさんとこの道を歩いた。
月日が経ち、当時は想像も出来ないくらいに多くの思い出を共有し、
そして当時は曖昧だった気持ちは、今、明確な恋愛感情となって今、私の心を燃やしていた。
この期間、恋愛だけでなく、多くの学びもあったし、
普通の高校生活では味わえないような経験も沢山出来た。
男子高での生活において、単なる役得ではなく、
女性とこうやって夜の道を語らい歩ける日が来るとは想像していなかった。
過去の出会いから現在までのあらゆる景色を呼び起こすように、
追憶の糸を辿るように進んでいく時間はゆっくりで穏やかだった。

そんな温かな時間を、このまま駅近くの雑多な喧騒で乱されてしまうのは躊躇われた。
私は街中に出る手前の小高い丘の上にある公園になつみさんを誘った。
古びたブランコに腰掛けて、揺れるでも揺れないでもなく話は続いた。

細く欠けた三日月の佇まいは華奢であり、繊細に私たちを照らす。
夏の終わりのささやかな風が、時々、周りの木々をざわつかせる。
小高い丘から見下ろす景色は慌しく車が行き交い、電車が右へ左へと人々を運んでいる。

私たちの思い出の糸もまた時に喧騒の中で複雑化し、
メンバーの思惑が交錯して衝突もした。
しかし、自分とは異なる人種であったタツヤと、
なつみさんの存在が私を支えてくれた。
自分の青春の1ページは、こうやって支えられてなんとか刻むことが出来た代物だった。
だからこそ、私にとっては、それが大切で価値あるものであるように感じられたのだ。

この公園で感じる月夜の下、夏の終わりの風を受けて、
私の心はじんわりと温まったのだ。

話は過去から遡り、ようやく現在に至った。
これからは振り返るのではなく、それぞれが作っていく未来の話だった。

ブランコを漕ぐ。子供がそうするように、勢いをつけた。
なつみさんも一緒に漕いだ。
ふたりで前へ後ろへと体は押され、また引き戻されていく。
私たちの日々もそんなブランコのようだった。
前へ進む時もあれば、後ろに下がることもある。
勢いがある時もあれば、勢いがなくなってしまうこともある。
前へいくと、後ろへ引き戻され、
後へいくと、前へ押し出してくれる。
そんな単純な反復運動の中にドラマが生まれる。
喜びや苦しみはそんな中で自らを育み、豊かにしてくれるのだ。

未来の話など私自身は浮かばなかった。
今日という節目を迎えて、次のことなど考えられない。
世界を圧倒するアスリートのように、
メダルを取ったその日に次のオリンピックを考えるなど考えられず、
凡人の私には、明日から虚無の時間が流れるに違いなかった。

「なつみさんは、受験どうですか?」

なつみさんは受験生なのだ。
今まさに、将来をどう選ぶか、ひとつの岐路に立っているのである。
センシティブでプライベートなことに言及してよいかとも思ったが、
逆にそこまで気を遣わずに自然と未来の話をする。

「うん、色々迷ってはいるんだ。でもね、ようやくやりたいことは見つかった気がするんだ。
だから今はそれを学べる大学を見つけたから、そこを目指すつもりなんだ。」

なつみさんはどこか噛み締めるように話した。
もしかしたら、他の誰かに自分のその思いを話したのは初めてだったのかもしれない。
その大切に築き上げている将来のことだからその内容に踏み込むのは失礼だと思った。

「そうですか、自分のやりたいことを見つけられつつあって、
目標となる大学もあるなら、また頑張れそうですね。
こうやって誘い込んで時間を奪ってしまって申し訳ないですけどね。」

私はなつみさんの意志を尊重し、励ましというとおこがましかったが、
本当に頑張ってもらいたいという気持ちを込めた。

「今の私の学力ではまず合格できないんだ。
あと少ししかないけど、頑張って勉強しようと思うよ。」

なつみさんは現実と理想の間で苦しんでいるのだと悟った。
そしてなつみさんは続けた。

「でもね、なんか今日過ごした1日はとてもよかった。
悲観的になってもしょうがない、前を向いていこうとエネルギーをもらえた気がするの。
去年、自分が頑張った姿を勝手に重ねて見てたりもしたんだけど、
あぁ、あの時、自分も頑張っていたな、輝いていたなと思ってさ。
だから、、、なんかうまくいえないけど、これからにとってよい1日だったと思う。
本当にありがとう。」

ブランコに乗っているから、横顔しかわからない。
でもそれがよかった。
ゆっくりとブランコを漕ぎながら、
やり取りされる会話はどこか真実が深まっているように感じられた。
素直な心情が表れ、その会話の合間の間もまた自然だった。

受験というものは、己との戦いである。
もちろん、他の受験生に勝ることを求められる競争である。
しかし、自分との対話が何度もなされるものなのだ。
目指すものはなにか、そもそも自分がどうありたいのか、
そのために今、この方程式を解くことが、この論理を説明することが、
あるいは歴史を記憶し、英語の文法を紐解き和訳することが、
どう自分の将来に繋がるのか。
そんなわからないことを手探りでもがきながら、しかし模試を受け評価が下され、
何かもわからないものに向かい走り続けなければならない。

感受性が豊かなこの時期に、
その理不尽さと戦いながら、勉強を進めなくてはならないことは、
進学校にある者同士、宿命でもあった。

思い悩み、苦しんでいる人へ、
大丈夫という取り繕いの励ましは通用しない。
頑張ってというエールの言葉も表面的なやり取りにしかならない。
私もこれまでの実感としてそれを理解していた。
だから、励ましもせず、エールの言葉を投げかけることも控えた。

「そうですか、大変なんですね・・・。」

私は苦労の話については、ただ静かに受け止めた。
余計な言葉は何一つ通用しないのだから。
理解をして一緒に共感することだけが、今の私に出来ることだった。
ブランコの金属同士が軋むギコギコ音が響く。

そして続けた。

「でも、今日という1日が、なつみさんにとって貴重な息抜きとなり、
またステキな時間になったのなら、私はとても嬉しいです。」

今度は力強く発した。
これは私の率直な感想だったし、
この嬉しいの感情の裏には、
自分のなつみさんへの特別な感情も大いに作用していたのだから。

私は私の想いの伝え方について少しずつ整理がついてきた。
しかし、電車の時間は迫っていた。
そろそろ公園を後にしなければならない。

ブランコから降りて、駅へと続く坂を下っていく。
一気に景色は喧騒として、先ほどまでのゆっくりとした時間が嘘のようだった。
周囲には私のクラスメートが、弱肉強食の狩りの世界に打ち勝ちゲットした
女の子と一緒にカラオケ店の前で駆け引きをしている。
そんな横を、私はなつみさんと2人で駅へ進んでいく。
時折、同級生や交流会のメンバーにも声をかけられたが、
全て右から左に受け流した。
邪魔をしているつもりではないのだろうが、今の私を邪魔しないでもらいたかった。

この道がいっそずっと続けばいいのにと思う。
駅になんて着かず、どこか全く違うところでいいから、
束縛のない、自由なところへ、なつみさんと行き着けば幸せだろうと妄想する。
しかし、現実は駅に着くのである。

私は自分の想いをどうなつみさんに伝えるか、心に決めた。
どうすることがベストかは結局わからなかった。
そんな模範解答などどこにもなかった。
ただ、ここで秘めたる思いとしてこのまま封じ込めてしまうのは、
この文化祭という青春のストーリーにおいて大きな汚点となってしまうような気がした。
だから想いを告白する道しか私には残されていなかったし、
そうしたいと心中思った。
それは自分の独りよがりな都合ではあったが、
自分がどうしたいかをまず大切に、
その上で、相手のことへ配慮するやり方をするのだと決心したのだ。

この際、ロケーションはどうでもよかった。
ロマンティックな雰囲気ある場所、
せめて静穏な場所でゆっくりと伝えた方がよいとは思った。
しかし、今の私にはそんな環境の手助けは不要だと感じていた。
想いを告げるときに、雰囲気を作ることは、
女性慣れしていない私でもドラマの影響で当然のことととして刷り込まれていたが、
そんな気取ったことを言うつもりも、求めるつもりもなかったのだから。

切符の券売機で、私は改札を通る入場券を買った。
昨年は自動改札機の前で恥ずかしい思いをしたが、
今回は駅のホームまで降りて見送ることにした。

入場券を買う人を追いかけてドキュメントを作ったら面白いと思う。
そこには様々な人間ドラマがある。
そして、今、私もひとつの青春の1ページを終結させようとしていた。
そのためには、この入場券はどうしても必要なものだった。
なつみさんは恐縮し、ここでいいよと言ってくれたが、
しかし、これは私の問題であったし、なつみさんも強くは私を止めなかった。
いつもは口数の多いなつみさんも、どことなく静かだった。

駅のホームは夜も遅くしんみりと静まり返っていた。
電光掲示板が次に来る電車を知らせているがだいぶ時間が開くようだ。
やや湾曲したホームのその先に見える信号は赤く点灯している。
エスカレーターを降りた私は、なつみさんと共にホームの先頭方向へ進む。
そのホームの端に置かれた誰ひとり人の気配がないベンチに腰掛ける。
スゥーっと大きく息を飲み、そして、ふぅ~と大きく吐いた。
なつみさんはすっかり無口になり、うつむき加減に哀感に包まれていた。

私はゆっくりと語り始めた。
つたない言葉を必死に紡いだ。
無力な言葉に感情を込めて、必死に奏でた。
声は震え、途中で噛んだりもした。
リズムは乱れ、聞くに堪えないぎこちないものだった。

なつみさんはやや下を向いたまま沈黙のまま、
私の奏でる不協和音に耳を傾けていた。

あらかじめ、こう伝えようとセリフを決めていなかった。
というより、冷静な頭でセリフに纏められる程、感情は単純ではなかった。
だから伝えたいことも紆余曲折しながら、
その場で浮かび溢れ出る感情を必死に繋いだ。
自分でも支離滅裂になっているのを感じる。
しかし、そんな自分もまた自分なのだから仕方のないことだった。
スマートに想いを伝えるなんて、最初から無理な芸当なのだ。

私は私の身丈で想いは全て伝えた。
自分の素直な感情を、相手を想う誰にも負けない自負のある感情を、
このようにぶつけることが出来ることは何者にも変え難い感動だった。

なつみさんの頬に涙が伝っていた。
伝った涙がベンチの下に垂れた。
それがどんな涙なのか私にはわからなかった。
ただ、少なくても良し悪しは別にして、
自分の気持ちは伝わったのだと理解した。

「本当に、不器用なんだね~。」

なつみさんは目を真っ赤にして
涙がまだ伝う頬を緩めて、こちらに泣き笑いの顔を向けた。
その表情は、決して私を咎めるものではなかった。
そのことにまずは救われた。

ホームの先の信号が赤から青に変わる。
まもなく、なつみさんが乗る電車が到着する。
それはこの場の別れを意味し、
しかし、新たな出発のサインのようでもあった。

ここで文化祭という1冊の青春の本は終わる。
しかし、ひとつの終わりは、また新たな始まりでもあるのだ。

電車の扉が閉まり、電車はゆっくりと動き出す。
私は手を振って笑顔で見送る。
心の中でどこまでも深い感謝の気持ちを唱えた。

電車がゆき去り、私はスゥーっと心が満たされた。
その充足感は心から溢れ、大きく体を伸ばし全身でこの感情を受け止めた。

家に帰り、なつみさんとお揃いでともらった、あのマグカップをようやく開けた。
ずっと大切に箱にしまったままだった。
なつみさんは受験勉強のさなか、そのマグカップにミルクティーを入れて飲んでいるという。
私も、そのマグカップに甘いミルクティーを作り、啜った。
体に染み渡るその甘さは、砂糖の甘さだけではない。
あらゆる甘さに満ちていて、ほっこりと幸せな気持ちに包まれた。

私の青春の1冊はこうしてそっと閉じられた。


~~ 完 ~~


あとがき へ続く

 
※投資以外のネタとして、現在連載記事をUPしています。
3月中旬目途まで続くと思いますので、興味ない方はスルー願います。


第9章 完遂

第8章 混沌 <<   はじめに戻る   >> 第10章 告白


涙を流すことは、自分の心と向き合うことだ。
心を解き放ち、内在しているあらゆるものを一度排出する。
それには相当のエネルギーが伴い、それが涙となる。
エネルギーをこうやって放射し、心持ちをなんとか保っていられるのだ。

泣き虫だったが、私はそれは恥じることではないと思った。
それが自分の感情を整理するのに何より効能があった。
人の視線ばかりを気にする自分は、変わっていいのだと自分を許容した。

タツヤと膝を突き合わせて話をした。
この日は朝まで語らった。
あの汚いたまり場で、サシでとことんやり合った。
春先の朝日は優しく降り注いだ。

秩序を保ちながら、多様性を受け入れるためのアイデアを出し合い、
様々な対策を講じることになった。
また、なつみさんのアドバイスもあり、
大きな目標に向けて具体的に動き始めることにした。

各校の文化祭で催すイベントに連続性を持たせたかった。
なつみさんに初めて構想を話したときから、やりたいことは変わっていなかった。
のど自慢やミス(ミスター)コンの優勝者をその翌週に行われる
他校の文化祭にゲストとして繋げ、
それを連鎖していき、最終週に開催する私とタツヤの学校の文化祭で一同に集めるのだ。
そして各校の代表者から最優秀者を選ぶのだ。
単なるより良いアクターを選ぶことが目的ではなく、
各校で閉じていたイベントを連鎖させることで、
盛り上がりを形成することに重きを置いた。
そして最終週にはタツヤの学校と私の学校で紅白のようにチームを分け、
同日同時間に中継を結んで、リアルタイムに双方向で楽しめるようにするのだ。

各週の各校でのイベントの結果を適宜冊子にして配布しその状況を知らせる活動を通し、
より楽しんでもらうきっかけを作ろうとした。
そして最終週には、メディアを巻き込んで中継を結ぶことを考えた。

また、広告宣伝の点から、この交流会での取り組みや、
各校の文化祭の情報をフィーチャーして宣伝する機会として、
メディアに取り上げてもらうことを狙った。

企画書を書きあげながら、メンバーに役割を配布するように工夫した。
私は、広告宣伝の機会を得られるようにマスコミを回った。
また中継を使って2校を繋げてくれるような対応を打診した。

NHKはもちろん、キー局にも企画書を持って訴えた。
しかしそんなに簡単なことではなかった。
むしろよく話を聞いてくれたと思った。
真剣に話は聞いてくれたが、巨額なお金が動かないと、難しかった。
商店街を回り地道に集める広告収入とはまるで別のことだった。

いくら卒業生を頼ってみても、少し高校生が扱うには規模が大きすぎる話だった。
結局のところ、キー局に取り上げてもらうのは難しいと悟ったのだった。
そこで、地域のローカル局に中継の打診をしていった。
また広告宣伝として定期的に取り上げてもらうのは、
何もテレビでなくてよかった。よりリスナーに寄り添う、地元のFMラジオ局を回った。

そして、地元のラジオ局で交流会のことを取り上げてくれることが決まった。
最初の番組がオンエアーされるのは梅雨が明ける7月なりそうだった。
この時は嬉しかった。
立ち上げの経緯やその後3期に入り、参加者も100人を超えるようになっていたので、
コミュニティとしても大きなものに成長していた。
そんな高校生の取り組みの紹介はもちろん、
参加してくれている各校の文化祭にもフィーチャーしてくれた。
事前の打ち合わせもあり、週末の夕方の番組を仕切る番組の人気DJとも仲良くなった。
お調子者ののタツヤと私がその番組に招かれ、私たちの声が電波に乗るのである。

窓ガラスに滴る雫がひたひたと地面に落ちて、チャポンチャポンと水の音を奏でている。
梅雨の雨は、ジメジメと肌にまとわり、決して気持ちのよいものではなかった。
シトシトと降る雨が夜の静寂の中で響き渡っている。
私はなつみさんに電話でラジオの出演を報告しようと思った。
手紙でもよかったが、その嬉しい知らせをいち早く伝えたかった。

自宅の電話を鳴らすのは初めてのことだった。
これまでは手紙でのやり取りや、生徒会室の電話での往来だけだった。
自宅の番号を聞くほどに親しくはなっていたが、
しかし、そこにコールすることは相応の覚悟が必要なことではあった。

なつみさんはその電話をとても喜んでくれた。
そして絶対に、そのラジオを聴くことを約束してくれた。
混沌の中での苦労を知ってくれていたから、
そのひとつの成果の喜びを共有できることは、私にとっても別格の喜びであった。

なぜこんなにも寄り添って喜んだり、悩んだりしてくれるのだろうかと思った。
そこには理由を求めても意味のないことではあった。
だから、そんな疑問は横に置いておいて、
その分かち合えたことを大切にしようと思った。

なつみさんの受験勉強は決して順調ではないようだった。
しかし、こういった類のものは順調だという方が稀だし、
順調だと思っている方が危ないものだ。
危機感があるからこそ、成長するものだ。
自分の道を切り拓くために頑張って欲しいと思った。
ただエールを送るしかできなかった。

なつみさんは自分と向き合い戦っている。
でも、私の今を一緒に喜んでくれた。
私もなつみさんに成果を報告出来て嬉しかったし、
声を聞けただけでも胸が熱くなった。
感情が高ぶると自分の溢れんばかりの気持ちを告白したくなるが、
受験に向き合うなつみさんのことを思うとそんなことは間違っても出来ない。
だいいち、自分が傷つくのも怖かったのだから。
だから、自分の胸の中で、ひっそりと温めておくのが一番よかったのだ。

初めての公開録音のスタジオに入る。
若者に人気のDJだったから、毎週ガラス張りのスタジオには多くのギャラリーが集っていた。
そんな中でゲストとしてタツヤと共に、私はスタジオの中の机に座っている。
大きなマイクがそれぞれの机に備え付けられていて、
音響設備とコードが乱雑に入り混じっている。
現場の仕事場に紛れ込んだ自覚が、私の緊張を高めていった。

交流会へ参加してくれている多くの高校生も
その窓ガラス越しに生中継を見に来てくれた。
会場は異様な人でごった返して、
警備員がその場をおさめるのに躍起になっているのが、中からみてもよくわかった。
スタジオの中から外のギャラリーの様子はよく見渡せた。

自分の声が電波に乗って届けられることに実感がなかった。
一体どのように聞こえているのか、中にいるとよくわからなかったし、
そもそもそんなことを考える余裕もなかった。

番組のオープニングの音楽が流れてくる。
ディレクター席から程なく、DJへキューが出される。
いよいよ始まる。
タツヤはニコニコ余裕顔だったが、私はやはり緊張していた。
そして、どこかで聴いてくれているだろうなつみさんのことを想った。
頑張るからね、と心の中で唱えた。
恋慕の情は儚いものではあったが、私を十分に勇気づけてくれるものであった。

蓋を開けてみると、お調子者のタツヤより私の方が話す機会は多かったかもしれない。
ただ、気が付いたら終わっていた。頭が真っ白となり、
何を話したかはほとんど記憶が曖昧だった。

番組スタッフとDJの問いかけの誘導が素晴らしく、
ただ問われたことに答えていれば、話は盛り上がったし、膨らませてくれた。
プロは凄いなと思った。そしてそんな配慮に助けてもらい、
なんとか初回のライブを終える事が出来た。
スタジオから出ると、そこに来ていた仲間が称えてくれた。
そしてその放送を聞いていた何人かからは、
自分もこのコミュニティに加わってみたいという声もあがった。

文化祭というのは高校生活を象徴する一つのイベントでしかない。
でも、そこにはそれぞれの青春が映る。
それを与えられるものとして捉えるか、
一緒に創っていくものとして捉えるかによって、その人を彩る色の濃淡は変わる。
文化祭でなくてもいい。
私の場合、それがたまたま文化祭でこの交流会だったのだ。
そしてきっかけがあり、そこから更に輪が広がっていく事が嬉しかった。

ひとつのことに情熱を傾けると、
誰かに関心をもってもらえるものだ。
もちろん、うまくいかないことばかりである。
私が立ち上げ期に混沌の中で苦しんだのも洗礼だった。
しかし青春のページを刻むことは、つまりそういうことの連続だった。
失敗の連続の中に小さな一つの光りがあるようなものなのだ。

慣れない生出演に普段とは異なる疲れを感じた。
ただ、とても居心地のよい疲れだった。

なつみさんから私の自宅に電話があった。
お疲れ様という内容の電話だったが、やはり自分のことのように喜んでくれていた。
それだけで十分だった。夜も遅かったので、話は尽きなかったが早々に電話を切った。
放送で何を自分が語ったのかわからなかった。
録音でもしておけばよかったが、そんなこと気が回っていなかった。

数日が立った時、なつみさんから郵便が届いた。
そこには、放送を録音したテープと共に手紙が添えられていた。
なつみさんはいつもこうやって寄り添ってくれた。
そのテープを再生し、その出来栄えは我ながら
よく受け答えが出来ていて自らに感心した。
手紙も温かな内容であった。

その後、毎週のようにラジオに出演した。
日が近い文化祭の宣伝の話をした。もちろん単なる告知では面白くないので、
特徴やそれを企画し運営している人にもフォーカスし、
より足を運んでみらいたいと思ってもらえるように努めた。
また、交流会の企画として学校連動のイベントのことも
より多くの輪が広がって欲しかったから、
参加の呼びかけもした。

最終週に開催する文化祭を中継することについても、
地元のローカル局と話を纏める事が出来た。
予算の兼ね合いもあり、双方に設置できる機器は小規模ではあったが、
連動して企画を成立させるのに十分なものを用意してくれた。

交流会は100人を超える参加者となり、各校の文化祭でのイベント、
そしてその連動企画も順調に進捗していった。
個々には様々な小さな問題は生じたが、軌道に一度乗れば、
組織の中で十分な解決を図ることが出来た。

交流会は、一貫してけじめをつけて真面目に取り組んだ。
中途半端にしなかったから、これ以外にも多くの小さな改革が進んだ。
そして、単に真面目なだけの会にもしなかった。
タツヤが主導して親睦を深める機会を沢山作ってくれた。
夏にはキャンプにも行ったし、海水浴にも行った。
日を追うごとに仲は深まり、そこで男女のカップルになるものもいた。
素晴らしい事だと思った。それぞれの青春がひとつのきっかけで刻まれ、
それを裏で支え、運営出来たことに勝手に陶酔していた。

このようにして、交流会はそのイベントの立ち上げから運営まで、
参加者のそれぞれの役割のおかげで、
またメディアを始め、地域の方からの応援もありいよいよ最終週を迎えた。

各校で選抜されたのど自慢や美男美女を
エリアに分けてタツヤの学校と私の学校のステージに分けて、紅白対決をするのだ。
テレビ局の中継車からその一部始終を捉え、
両校のそれぞれの画面に投影して中継を結んでイベントは進んでいった。
新しい試みだったし、テレビ局が入り、中継まで結んでいたから、
大変な関心が寄せられ、集客も昨年より多かったし、何より参加者もより盛り上がった。

後進のためにも、当日の直接的な運営はできるだけ、
後輩の1年生に任せた。
任せることは投げることではない。
だからきちんと状況は俯瞰し、フォローをした。
自分の思い通りに進まず、思わず口を挟みたくなることもあったが、
それがぐっと堪えた。自分の色を押し付けることはしたくなかったし、
任された立場に立てば、それほどの侮辱はないことを知っていた。
私の先輩も、私に任せるべきところは任せてくれた。
権限と責任に育ててもらったのだ。

一度実績があれば強い。
今年もあの大きな花火を打ち上げる事が出来た。
もちろんタツヤの学校では難しかったから、
まさに最後のクロージングは中継でその花火の打ち上げも共有した。

私は打ち上がる花火の音を聞くと、
校庭の地べたに横たわった。
大の字に仰向けになった。
地面の堅さを背中に感じ、
真上に上がる花々を全身で受け止めるように空を仰いだ。
もちろん、ここ何日かは本番に向けてほとんど睡眠もとれていなかった。
それ位あらゆることを忘れて自分の時間を注いだ。
日が迫るとなつみさんとの連絡も益々疎遠になっていた。
それくらい、私は私の中での自分の時間の有限さに悩まされていたのだ。

なつみさんはもしかして、テレビを通してこの花火を見てくれているだろうか。

そんな期待が脳裏のどこかに巡った。
しかし、疲労のせいか、あるいは全てのことへの達成感からか、
盛大な花火を仰ぎながら、意識がすぅーっと薄れていった。
全てが完遂した。現役をこれで退く。
一年前、私はここで野心を抱いた。
そのすべてが成せたわけではなかったし、
むしろやりたかったことのほとんどは実現させることが叶わなかった。
しかし、青春の思い出は十分に積み重ねる事が出来た。
閉じた目に昨年から今日までの様々な光景が走馬灯のように浮かぶ。
そして、やはりそこにはいつも寄り添い笑いかけてくれるなつみさんの姿があった。

少なくても私にとってはよい恋愛だった。
これだけの思い出を作る上で、なつみさんの存在は大きかった。
心の中でいてくれたことが自分の励みになり、前を向くことができた。
1人の女性の存在が自分をここまで成長させてくれるものなのだとすると、
その存在は一生ものの感謝を捧げねばならないと思った。

もちろん、想いが通い合うことが一番だった。
閉じた目の先になつみさんの姿を想像し、やり遂げられた自分と、
そこへの感謝がこみ上げ、花火が終わったあとも、
薄らぐ意識に身を任せてその場で天頂仰いで、呼吸を整えた。

遠くの方で笑い声が脳に直接作用した。
ふふふ~と、あの寄り添い優しいその笑い声は耳からではなく、
脳内に直接響き、そして心地よかった。
この声に何度救われたことか。
それが現実のものか、薄らぐ意識の中の夢の出来事のようであった。

何分そこに横たわっていたのだろうか。
遠くの方からまだ来場者同士のやり取りと思しき雑踏の音が聞こえる。
多くの出会いがあったようで、楽しそうなやり取りの声に安堵した。
心が満たされた心地よさにまだ宙を浮いているようだった。
そして更にしばらくが経ち、私は瞼をゆっくりと開く。
ぼんやりとした視線の先にうっすらと月明りが滲む。

私ははっとした。
その私の顔を上から覗き込む姿があった。
それは闇の中でも月光に照らされた横顔ですぐになつみさんだとわかった。
驚いたが、体がすぐには起き上がらなかった。
まるで地面に張り付けられたように体は重かった。

「お疲れさまだったね。」

私の頭上にしゃがみこんで、語り掛けてくれた。

「びっくりしました。」

昨年も重役を担う私の心を乱さぬよう、自分の気配を消していた。
今年もまた、こっそり来てくれていたのだ。
それはなつみさんの配慮と、ちょっとしたいたずら心だったかもしれないが、
それにただ驚いた。そして離れていると思っていたものが、
今すぐここに存在してくれていることに、
じわじわと実感はこみ上げていった。

私はようやく体を起こした。でも立つことは出来ず、その場に座ったままだった。
なつみさんも私も次の言葉が出てこなかった。
しばらく沈黙だった。それは気まずいものではなく、自然なものだった。
沈黙の中に様々な感情が2人の間に行き交った。

泣き虫な私はその得体の知れない感情が規定量を超え、
一気に涙を流した。
なつみさんは、そっと自分のハンカチを差し出してくれる。
遠慮なく、それで目頭を抑えた。

感謝の気持ちに片思いの悲恋を孕む感情とが乱雑に入り混じり
この扱いに戸惑うばかりだった。

ハンカチからはいい匂いがした。
女性からハンカチを渡され、涙を拭くなど、
後先考えてもこの1回限りだった。
止め処なく溢れ出る感情の涙はどんどん滴り落ちていく。
私は、そのハンカチで目頭を包み込むように抑えた。
それは、なつみさんの温情の中で全身を抱擁され包まれているようだった。

文化祭を完遂させたそのことより、
この1年間のプロセスが走馬灯のように去来し、
説明できない感情が沸き起こってきた。

無難に文化祭を完遂させるだけであれば、
目新しいことを追いかけ続ける必要はなかった。
過去を踏襲し、歴史を積み重ねていくことでも十分にやりがいがある。
次の世代にバトンを渡し継承していくことは、
変化に富んでいないものであっても、誇れるものなのだ。

しかし私は大きな変化を求めた。
そのために多くの時間を割いたし、エネルギーを注いだ。
なつみさんとの出会いにきっかけをもらい、
連絡先を聞き、1通の手紙を送る勇気が、大きな一歩となった。

立ち上げ期に人の輪が広がっていくことは嬉しかった。
仲間が増えた気がして日々の生活は充実したとも感じた。
自分の視野はさほど広がらなくても、
人脈は多岐に拡がりを持ち、多様性に触れることで自ずと世界は拓けた。

しかし、なつみさんがいなくなってからの交流会の運営は苦労ばかりだった。
時間が経ち、規模が大きくなるにつれて課題は顕在化するものだ。
分かれ道はほんの少しの角度の違いであっても、
行き着くところはだいぶ違うところになる。
秩序と混沌との狭間で、
多様性の大きな海の中で何度も波に飲まれ、そして溺れた。
不器用な私はそれを賢くやり過ごす振る舞い方を知らず、
何度も心がくじけそうになった。
堅物の自分がいない方が、みんなが幸せではないだろうかと、
自分を卑下して逃げ出したくなる日々もあった。

それでも最後まで走り続けた。
そして、今日、多くの交流会のメンバーが来校してくれて労ってくれた。
交流会がきっかけでカップルになった者は感謝をしてくれたし、
やらされ感のあった生徒会活動に希望の活力を見出せたという者もいた。
参加してくれたメンバーがこの交流会を通して、
それぞれの青春を刻んでくれたことは私にとっても何事にも変え難い手応えとなった。
くじけなくてよかった、逃げ出さなくてよかった。
そんな感情が沸々と何度も繰り返し私の心を突き動かし、涙腺を益々緩ませた。

なつみさんは私に寄り添い続けてくれた。

私にとって文化祭は終わり、
そして交流会も次の世代へバトンを渡す。
私の夏は終わったのだ。



第10章 告白 へ続く

 
※投資以外のネタとして、現在連載記事をUPしています。
3月中旬目途まで続くと思いますので、興味ない方はスルー願います。


第8章 混沌

第7章 順応 <<   はじめに戻る   >> 第9章 完遂


生徒会室の電話はほぼ私が占有していた。
それくらいやり取りが盛んだった。
タツヤとの連絡はもちろん、なつみさんや新井さんとも毎日のように電話をし合ったし、
書類のやり取りはFAXを使った。

SNSはおろか、電子メールもまだ発達しておらず通信手段も限られていた。
様々なコミュニケーションツールが発達していなくても
お互いの配慮があれば十分に話を前に進めることが出来た。

制限があっても、物事なせるし、そうなるように皆が努めた。
ツールばかりが発達しても、それを操る人に配慮が足りなければ、
結局のところ、それは使い物にならないばかりでなく、
関係性を壊す危険を孕んだ諸刃の剣のようなものとなるのだ。
だからひとつひとつのやり取りを大切にした。

もちろん無駄話も多かった。
事務の効率はなおざりになったものの、
その分お互いの親睦はより深まったし、絆も強固なものとなった。
無駄なことがあるから、得られるものも広がりとユーモアに包まれる。
効率ばかりを求めると、画一的になる。
それはビジネスでは必要な要素かもしれないが、
個人にふりかかるあらゆることには遊びがあっていい。
その方が豊かになれるのだ。
必要以上に何かに没頭し、決して効率主義にならず、
様々な側面を見ながら進めることが自分を育て未来が明るくなるような気がした。

年が明け、何度もあのラーメンも食べた。
不愛想な大将ともすっかり顔なじみになった。
お互いの学校の中間地点にタツヤの学校があったから、
専らあの汚い部屋が私たちの常連のたまり場となった。

新井さんはとても絵を描くのが上手だった。
モデルのように背が高い美人が描くタッチは繊細でパステル調の色調だった。
ホンワカした新井さんの雰囲気が写っているようだった。

そんなイラストの数々は、交流会を呼びかけるチラシやポスターに配置され、
そこに様々なキャッチーな言葉をなつみさんが置いていくことで、
販促ツールは充実していった。

私は自分の学校から多くの渉外予算を取り付け、
また、タツヤも新井さんも同様に予算を引っ張ってきた。
共通的な財源はまだまだ小さかった。

だから自助努力で財源を確保するために、
なつみさんと私は商店街に出て小さな商店を巡り、小さな広告収入を頼りに頭を下げて回った。

県下を巻き込んだ珍しい取り組みの構想を抱き、学生が頭を下げにくると、
多くの商店が快く、『お小遣い』をくれたのだ。
それ位、当時の商店には恩情が溢れていた。
そのひとつひとつに感謝をして我々の活動の軍資金をかき集めていった。
そして後に発行する冊子への広告枠を埋めていった。

なつみさんは自分が受験生になることもあり、
徐々に積極的に活動には参加が出来ない事情が出てきた。
だから一緒に巡ることができた、このお小遣い集めの珍道中は
私にとってとても貴重な時間でもあった。

ある店では説教を頂くこともあった。
そんなに簡単に学生が金を求めるな、ということだった。
私は私なりに真剣に取り組んでいたから、そんな心もとない説教に落ち込んだ。
店から出た私をなつみさんが励ましてくれたこともあった。
また他の店では、私となつみさんが夫婦漫才を演じるかのように盛り上がってしまい、
その店主に気に入られたこともあった。
そのお店の商品だといわれ、お揃いのマグカップをもらった。
淡い青とピンクのペアカップだった。
決して高価なものではないそのお揃いのカップは、
少なくても私にとっては幾倍にも価値のあるものとなった。

2月に入り、いよいよ交流会の立ち上げは2期フェーズへと進んでいった。
参加校を10校程度にまで広げ、試行的に交流会を招集することになった。
タツヤの学校が交通アクセスの面からも最適であり、
今度は綺麗な建物に100人は収容できる部屋を確保した。
さすがに、あのアジトは公にするべきでなかったし、スペースも限られていた。

その部屋は特別な会議棟だったから、事前の手続きが必要だった。
私はタツヤの学校の職員会議に突撃して今の取り組みと設備の利用許可を直訴した。
他の学校の生徒が職員会議に現れて訴えることは、間違いなく異質なことではあった。
しかし、当時の校長は一声で気まえよく了承してくれた。
そういった大人の理解があったことが嬉しかったし、このプロジェクトを前に進める要素になった。

結局、最初の交流会は40人程度の高校生がそれぞれの学校から参加をしてくれた。
郵送での呼びかけに応じてくれて、なんだか面白そうと集ってくれた。
様々な制服に身を包んだ高校生が一同に介し、挨拶を交わし合った。

ここでも私はこの交流会のリーダーをタツヤに譲った。
私はやはり副のリーダーに落ち着いた。
私より弁が立ち、お調子者のタツヤがこの会を率いる方が、全てにおいて明るかった。
新井さんも発起人の3校の代表として書記と会計の後方事務を担ってくれた。
そんな感じで交流会は動き始めた。
ただ、その場になつみさんはいなかった。

この頃になるとなつみさんとは益々会う機会が減ってしまった。
なつみさんが、春の予備校の講習に通うようになるといよいよ受験勉強が本格化する。
会えない日々に物理的な距離は感じざる得なかった。
しかし、なつみさんとの出会いがきっかけで動き始めたこの交流会のことがあると、
どこかで応援してくれているという自分本位の感覚が自分を支えてくれた。
そんなこともあり、精神的な距離はそこまで大きくは感じなかった。
いや、そのように状況を認識しようと努めただけかもしれなかった。

会えない日々こそ、私にとって辛いものはなかった。
しかし、そんな日々があるからこそ、精神的な繋がりを大切に出来た。
それは独りよがりの妄想の域であったかもしれない。
しかし、そもそもが独りよがりの想いなのだ。
制約があり、苦しみがあるからこそ、深まっていくものだ。
その深まりの中に溺れ、大いにこれを楽しもうと思った。

人を想うことは、自分のモチベーションを上げ、
何事にも全力であたることのできるエネルギーの源なのだ。
そして自分の身丈以上の困難なことにも積極的に取り組むことが出来る。
心が切なさに押しつぶされそうになったり、小さくジンワリと胸が熱くなることもあった。
急に声を聞きたくなることだってあるし、あの笑顔に触れたいと何度思ったことか。
しかし、そんななつみさんを想う気持ちが、間違いなく私の原動力になっていた。

40人が集い、そこで思い思いの高校生同士が出会い、繋がることで会場全体は浮足立った。
個人としての出会いの機会としても思春期の男女にときめきを与えていた。
そして、文化祭を盛り上げようとする同志としての出会いは、
様々な共同イベントや相互協力の話は自発的に、有機的に派生していくのだ。
これまで閉ざされた個別最適の世界であったが、
ここにオープンな交流の機会を設けることで、確実に風穴を空けられた手応えがあった。
しかしながら、今後が案じられる課題も浮き彫りになった。

私は、秩序を重んじた。
タツヤは、混沌を許容した。
初回にこれだけの人数を収容してみてわかったことだが、
この秩序と混沌の狭間で、それをどうマネジメントするかが大きな課題になると感じた。

年頃の男女が入り乱れると、自然と秩序は薄まり、
ここが単なる出会いの場でもあるかのような混沌さが出てしまうものだ。
それは悪いことではないと捉えていたが、しかし私はけじめはつけたかった。
秩序を保った中で、有意義な企画や交流が図られることが、この会の趣旨であった。
散々、構想立案の議論を重ね、コンセプトの趣旨にも謳っていた。
このコンセプトはなつみさんも助言をしてくれたものであり、
私もその理念にこそ自分がなしたいことのイメージを投影したのだ。
だからこそ、それを大事にしたかった。
もちろん、そんな意義ある交流の中で、個人としても素敵な出会いがあれば、
それに勝るものはない。なにも、個人の浮ついた欲求を抑圧することが趣旨ではない。
しかし、ナンパ師のように見境いなく声をかける男子高生には苛立ちを覚えたし、
まんざらでもない受け止めをする女子高生には眉をひそめた。

この交流会が単なる個人の私利私欲にまみれる場であるとすると、
それは苛立ちを通り越してただただ残念だった。
文化祭の企画や運営の助けになり、
それぞれの価値を高められるようなものであって欲しい。
秩序をもった建設的な場の先に、個人としての出会いがあるならばそれは喜ばしいことだ。
そんな風に考えていたわけである。

しかし、タツヤはそんな本能むき出しの混沌さもまた許容していた。
人間の行動様式など、規律では変えられないといわんばかりに私の正論をなだめた。
まずは多くの生徒が集まり、一定の交流が図れたことは成果だった。
しかし、一部の心もとない生徒の招いた混沌とした状況により、
私の大切にしてきたすべてを踏みにじられたようで悔しかった。

しかし、これが現実だった。
自分が納得出来ないことから逃げずに向き合う試練が与えられているのだ。
人が増えればそれだけ多様性は増す。
多様性を認めてその中で組織を運営していくことの難しさは頭では理解していたが、
自分が率先する立場になり
それを目の当たりにすると対処が出来ずに忸怩たる思いに伏した。

他人の行動様式は主観的な課題により決まる。
充実した文化祭への関心の重みが強ければ、
趣旨に沿った言動となり私の考える秩序におさまる。
しかし、自分の私利私欲の出会いの機会にこそ重みが寄せられれば、
趣旨はなおざりにされ、その場の交流は混沌さを増す。
各自の関心の向き先がどこにあるかによって行動は決まるし、
それは他人が容易く変えることが出来ない難題であるのだ。
異なる立場を非難し合っても、そこからは何も生まれない。
抱いている課題は人それぞれ違うのだ。
アドラーの教えは本当にその通りだった。

私の訴える趣旨を、同じ温度感で共感をしてくれる参加者も多かった。
しかし、異なる温度感で、
交流会の趣旨などにたいした関心もないとする者もまた一定数いた。
人のコミュニケーションパスが増えることで多様性は増した。
良いこともあったが、温度感を共有して物事を前に進める難しさを前に、
私は困惑して混乱した。

こんなとき、なつみさんがいてくれたと何度も考えた。
私のリーダシップの拠り所となり、心の癒しとなり、
そして打開をしてくれるパートナーとしてここにいてくれたら、
どれだけ救われただろうかと思った。
しかし、実際にはこの場になつみさんはいない。
秩序を保とうと全力をあげて交流会を企画し、準備をしてきた。
そして今日はじめてこれだけの規模の人数を集客したのだ。
その初回を終えて緊張の糸が切れた後、私は私の世界で混沌としていた。

アンケートを集計すると初回の交流会は極めて好評だった。
否定的な意見はなかったが、それは興味をもって参加してくれたという
参加者バイアスがあるからであり、むしろここでこけたら先はないのだから当然だった。
むしろ私は大きな課題感に苛まれ、そしてタツヤと対峙する必要性に迫られていた。
これから3期に向けて規模を更に大きくする上で避けられない課題であった。

もちろん、正論を振りかざし正面からぶつかってもよかった。
しかし、それは得策とは思えなかったし、持論を押し付けることは、
物事の解決にはならないことも理解していた。
だからこそ冷静になる必要もあったし、掲げたコンセプトを全うしつつ、
多様性にどう対応すべきかの難題が課せられていると思った。
とはいえ、未熟な私が一人でこの答えを出すことは難しかった。

相談すること自体、迷った。
受験へ気持ちを切り替え、その道で走り始めただろう中で、
甘えて頼ることに躊躇しないわけはなかった。
しかし、私には相手のことを考えられるほどの余裕がなかった。

予備校の前でなつみさんを待った。
己の都合を優先する自己嫌悪を抱えながら、
しかし、話しを聞いてもらいたいという気持ちに素直に行動することにした。

2年生に進学して2か月ぶりになつみさんと会える。
そのときめきの中にある私の立場と、
交流会の裏方として運営を担う副リーダとしての混沌との狭間で、
なつみさんにも2つの顔で接する複雑な事情を抱えていた。

多くの悩みというのは、困惑の中にあっても、
実際のところ、解決の糸口はたいていは自分の脳裏のどこかにひっそりとあるものだ。
人に相談をするということは、
それを掘り起こし自分の認識を表面化するようなものだった。
本当に困惑の中にある時には、そもそも状況を他人に整理して伝えられないし、
悩みの内容すらも支離滅裂になるものだ。
何に悩んでいるかを認識して話せるということは、
あとはどう対処するべきかについて薄々は理解しているのだ。

なつみさんに話しているだけで、その凝り固まった困惑は少しずつは和らいだ。
もちろん、本質的に話しただけで解決できるほどには軽傷ではなかった。
でも聞き上手ななつみさんに言葉を並べていくと癒えていくのがわかる。

具体的な目標を早くに共有して、ゴールを明確にした方がよいのではないか。
そして、そこへ突き進む動きに役割を持たせるとよいのではないか。
そんな助言をしてくれた。

共通したゴールがより明確になるとアプローチは人種のタイプによって異なっても、
目線を合わせやすいというのはその通りだと思った。
コンセプトに掲げた定性的な交流会の在り方に沿った会の運営というのは、
その共通的なゴールが見通しづらく、曖昧さをもっていた。
個人の価値観に依拠され、ベクトルがずれやすくなるのかもしれない。

それぞれの価値観を大切にしつつ、それぞれのメンバーに役割を与え、
ゴールを共有できるような仕組みを作ろうと思った。
タツヤと相談してみようと思った。
これは自分の正論を押し付けるような野暮なことではなく、
建設的な前進を促すように働きかけたいと心を落ち着かせた。

「どこまでも不器用なんだね。
でもね、そういう堅物な要素がこういう会には絶対必要だと思うよ。
色々な人がいるから大変だと思うけど、それを楽しんでやれることは幸せなことだよ。」

なつみさんは私に話す。
なつみさん自身が後ろ髪引かれて引退していることは感じ取っていた。
なつみさんだってこの輪に入って一緒に活動したいと思ってくれているのもわかっていた。
しかし、進学校にいるからこその掟でもあって、
勉学に勤しまねばならないのが将来のためになるとはいえ無念だったに違いなかった。
私は自分が主役となる2年生に進級し、好きなだけ謳歌できることが
幸せなことなのだと言われて、そうだなと実感した。

当たり前にある時間、それを好きなだけ全うできることは、幸せなことに違いない。
ただ、苦悩の中にあるとそのことに気が付かなかったり、
逃げ出したくなってしまうものだ。
しかし、客観的にみれば恵まれた環境にも映るのだ。
自分が構想をぶち上げて走り始めたことだ。
悩みながらそれを楽しむ覚悟が必要だった。

優しい言葉に包まれて、応援をしてくれるなつみさんの事が愛おしいと感じた。
交流会の責務が和らぐと、急に恋をする一人の青年の顔が出現する。
度胸もないのに抱きしめたい衝動にかられた。
女性を好きになるということは、理屈を抜きにして触れ合いたいと思うものだ。
それは不思議な感情でもあった。

高校2年の男子が想いを寄せる女の子を前にすれば、
抱擁し、唇を重ねて、その先の淫欲を満たす発想に直結するのが正常な反応であるはずだ。
いつだって妄想のどこかで服を脱がしその内たる部分にこそ入り込みたいと思うものだ。

しかし、どういうわけか、そういう方へ関心が向かない。
精神的な拠り所が強いと肉体的な情欲を抑制させるのかもしれなかった。
体を重ねるより、言葉を重ね、感謝の気持ちを往来させることが、
何よりも大切にしたいことであった。

だからこそ、ことに及ぼうという気持ちはなかったが、
しかし寄り添っていたいという気持ちが大きく、今晩は別れるのが辛かった。

駅に着き、なつみさんが乗る電車を見送るためにホームに降りた。
電車が到着する旨の電光掲示板が光る。
ヘッドライトの明かりがみるみる大きくなり、電車はホームへ滑り込んでくる。
ドアが空く。
なつみさんが電車に乗って私の方へ振り返る。
ニコっと笑ってエールを送ってくれる。
私も受験の勉強頑張ってとエールを返す。
そして、今日、私のために時間を作ってくれたお礼を伝える。

トルゥゥゥ~♪ 発車ベルが鳴る。
乾いたコンプレッサーの音が響く。
乱暴にドアが閉まる。
ドアのガラス越しに、なつみさんは手を振る。
平然を装い私は手を挙げる。
いつになるかわからない、『またね』を口ずさんだ。
なつみさんはまた拳に親指を立ててこちらに向けた。
なつみさんなりのエールだった。

こんなに近い距離でもドアのガラス一枚でその声は届かない。
あるいは伝わったかもしれなかった。

電車はどんどん加速していく。
ホームから電車が走り去っていく。
テールライトが遠ざかっていく。それをただ眺めた。
しばらくその場から動けなかった。
そして不意に涙腺が緩む。
遠ざかるテールライトが涙で滲んだ。
感情の整理がつかなかった。
じんわりと涙が溢れてきて、言葉では言い表せない感情に胸がギュッとした。
それは苦しみともいえたし、感謝ともいえた。
悲喜が折り重なるこの混沌さに、なす術もなかった。
近くのベンチに座り、目の前の行き交う電車を何本かやり過ごした。

私は交流会の副リーダ―としても、
なつみさんへの想いを抱く男としても、混沌としていた。
しかし、その混沌から未来を見出さねばならなかった。


第9章 完遂 へ続く

 
※投資以外のネタとして、現在連載記事をUPしています。
3月中旬目途まで続くと思いますので、興味ない方はスルー願います。


第7章 順応

第6章 自覚 <<   はじめに戻る   >> 第8章 混沌


イチョウの大木に広がる枝からは葉がみるみる落ちていき、
黄色く染まったその葉たちは、木枯らしに乗って散り散りになり、
今となっては殺伐とした大木の出で立ちである。

校門の奥にずっしりと鎮座するその大木はこの学校の歴史の深さをいかにも物語っていた。
それは殺伐というより、むしろ雄々しくどっしと構える力強さがあって、
この学校の校風をあらわすかのような佇まいである。
その大木の奥には、レンガが積み重ねられた校舎がそびえ、
ゴシック建築の流れを汲んだ曲線の形状が重なり、この学校の奥深さと伝統を伝えていた。

冬休み前のある日の放課後。
私は明らかに他の学校とは一線を画す荘厳さすら感じる、この学校の校門の前に立っていた。
放課後の時間に、ここでなつみさんと待ち合わせをしていた。
なつみさんは新たな実行委員長を連れてきてくれることになっていた。
そして、彼女たちと共に、この歴史ある学校の門をくぐり、
3校での交流会の立ち上げに向けた初めての顔合わせをするのだ。

約束の取り付けは強引だった。
数日前、私はこの学校の生徒会室に前触れなく電話をかけた。
ごちゃごちゃと前置きを電話口で言っても自分の話す言葉では要領を得ないとわかっていたので、
一方的に日時を伝え、とにかく一度会いたいと伝えた。

私も男子校だったが、ここもまた男子校である。
人が繋がると何か面白いことが起る。
そんなシンパシーを得るのは簡単だった。
見知らぬ私からの唐突な電話にも即座に歓迎の意を示してくれたし、
なつみさん達も同伴することを加えると、
益々、やる気になっていた。わかりやすい男だとその時思った。

空っ風が時折つむじ風となり砂埃を舞い上げて、
その都度、顔を背けて待ち合わせの時間を待った。
なつみさんの後輩はどんな子だろうと思った。
自分の気の多さに正常な男としての本能を見た気がした。

なつみさんは制服の上に紺色のスクールコートを羽織っていた。
首元には、チェック柄のマフラーを巻いていた。
4度目の対面となることもあり、さすがに自分を見失う程に舞い上がることもなかった。
なにより、それが特別な感情によるものだとどこかで受け入れることにより、
小さく温かな気持ちが心にそっと宿り、ほんわかするのだった。
自分の感情というものと折り合いをつけて、そのあるがままを受容することは、
自分自身を落ち着かせるためには有効なのだ。

なつみさんの横にスラリと背の高い女子高生が立っている。
なつみさんより遥かに背も大きく私の背の高さとさほど変わらないように見えた。
長い髪は後ろで結ってあり、前髪を横に流しておでこが広くみえるのがかわいらしかった。
目がキリっとしていて力強く、鼻や口などのひとつひとつのパーツが小さく、
モデルのように小顔だった。

「はじめまして、新井りつ子といいます。今日はよろしくお願いします。」

緊張をしていたのか小声で少しよそよそしい感じがした。
しかし、私がなつみさんと始めて交わした時のような、
ガチガチに緊張したしどろもどろさは微塵もなく、
普通にコミュニケーションが取れる人なのだと、当たり前のことに感心した。

なつみさんが横から口を挟んだ。
次期の実行委員長になる旨、改めて紹介してくれた。
そして私との経緯を改めてなつみさんは彼女に掻い摘んで話をした。

『りっちゃん』ってみんな呼んでいるよと伝えられても、
同じ1年生とはいえ、ただちに今、馴れ馴れしく、『りっちゃん』なんて呼べる度胸は私にはなかった。
こういう時、女の子に対しては無難に苗字にさん付けになるのだ。
そして女の子慣れしていない者にとっては、たいていはその呼び方の域からなかなか進展しないのだ。
一種の呪縛をかけられたようなものなのだ。

そういえば、なぜか、なつみさんを呼ぶときは最初からファーストネームだった。
新井さんとは普通に今、平常心で初対面の挨拶を交わし話のやり取りが出来るのに、
なぜなつみさんとの初対面ではあんなに緊張したのか。
なつみさんは愛嬌もあったから、むしろ話しやすかった。
にも拘らず、普通の挨拶すらぎこちなかったのだ。
やはりなつみさんは出会いの時から私にとって特別だったのかもしれない。

よそよそしい挨拶もそこそこに校門を通り過ぎ、
イチョウの大木の横のベンチに腰掛けて迎えを待った。

男子高になつみさんと新井さんがいるのだから、
下校していく生徒が関心の眼差しを向けるのも無理はなかった。
そしてそこに同伴している私にも奇妙だといわんばかりの視線がぶつけられた。

そういう視線には人一倍敏感だった。
劣等感の塊のようなものだからこそ、周囲からの奇異な視線に咄嗟にアンテナが反応するのだ。
そのアンテナをもっと有効活用できればよいのだが、天は二物を与えないものなのだ。
もっとも、私の過敏なアンテナなんて全く役に立たないのであるが。

校舎の中からひとりの男が、つっかけのサンダルでこちらに小走りに向かってくる。
初対面とは思えない馴れ馴れしい素振りで手を振って、ニコニコしながら近づいてくる。
きのこを被せたような髪型がなんともインパクトがあったが、
それ以上にミッキーマウスが大きく描かれたトレーナー姿なのに驚いた。
ズボンもスウェットのだぼついたズボンで、さながら雑多な街中に座り込む不良のような出で立ちだった。

彼もまた、次期の文化祭実行委員長となる。名前をタツヤと名乗った。
軽い感じで、ようよう、ようこそ、中入りなよ、といったラップ調の挨拶に、
先が思いやられ、思わず困惑の表情をなつみさんに向けた。
なつみさんはゲラゲラ笑っていた。この奇妙な状況がどこかツボだったようだ。
新井さんはただただ目が点になっていた。

エントランスから校舎の中に入っていくとより荘厳さは増した。
そして、校舎の中は意外にも綺麗に管理されていた。
階段を降り、建物の渡り廊下と繋がっているプレハブ小屋にいくと、景色は一転した。
足場のない程のゴミの絨毯が行く手を阻み、幾人のグラビアアイドルの水着姿のポスターが、
あちらこちらに貼り付けられている。
こんなところになつみさんたちを連れてきてしまって大丈夫だろうかと、
タツヤの仕切る会議室にたどり着く前に不安は大きくなった。

ドアの役割を果たしているかもはや微妙な扉を開けるとそれなりの広さのあるスペースがある。
机の上には食べかけのカップラーメンと飲みかけの空き缶が雑多に置かれたままで、
幾層にも重なる書類の山が山脈のように連なっている。

乱雑なパイプ椅子の上にはダンボールに梱包された小包のような荷物が山積していて、
座るところすら慎重に見渡し見つけなくてはならなかった。

確かに一方的に日時を伝え、押しかけてきた身分だった。
だから贅沢を言うつもりはないが、せめて座る場所と最低限の打ち合わせが出来るスペースくらいは
用意をしておいてもらいたかった。
それになつみさんたちを連れてくることも伝えてあったのだから、
せめて卑猥さを連想させるようなポスターくらいは
みえないようにする配慮がないのかと、怒りすら覚えた。

「いや~汚くてすまないね~」

と、タツヤはおどけて、もはや取り返しようのないこの現状に笑った。
私は、笑いごとではないと思った。
自覚があるのであれば改めるべきだ、どうしてくれるんだ、と早くもここを訪れたことを後悔した。

時間が巻き戻るなら、違う高校にアポを入れたはずだ。
しかし、この学校は随一の歴史と進学実績を誇る旗艦校でもあった。
まさかこんな事態になるとは思わなかった。
それにそもそも時間は巻き戻らないし、私たちには時間がなかったから、
悠長なことを言っている場合でもなかったのだ。

なつみさんはおもむろに、断りもなく、机の上のゴミなのかどうかもわからぬ
得たいの知れないものに手を伸ばし、容赦なくゴミ袋にぶち込んでいった。
はがれ掛けたグラビアのポスターを扱う時にだけは、
これも剥がして捨てる旨を、一応事前に通告をしてからゴミ袋にねじ込んでいく。
なつみさんのせめてもの配慮だったのだろう。
同時に臆せずあっけらかんと粛々と進めていく様が勇ましかった。
こんなにも汚いのもまた珍しいよ、と苦言を呈しながらもてきぱきと処理をしていく。
いきなり訪れた高校の部室のようなこの場所の掃除をするという異様な出会いから、
この交流会の立ち上げは始まるのだった。

どこで拾ってきたのかわからない3人掛けのソファーが対面する形で2脚配置されていた。
最低限の座る場所とテーブルのスペースを確保して4人はソファーに腰掛けた。
改めて自己紹介をし合うのだが、出会ってからここまでのほんの短い時間での累積の印象は
ここまで落ちぶれるかと思われるほどに悪過ぎて、
本当にタツヤと一緒に今後をやっていけるのかと後ろ向きな気持ちにすらなった。

私の弱点のひとつだった。
自分とあまりにも違う種類の人とは距離を置いてしまう。
多様性が大事と理解はしつつも、結局は似たような群集の中で物事を進める傾向にあった。
タツヤのようにぶっ飛んだ自分とはまるで違うタイプの人間とは、
一方的に距離を取り、関わらないようにしていた。
しかし、それは自分のキャパシティを狭め、可能性を閉ざしてしまうことになるのだ。
自分と異なる人種と交わるからこそ、イノベーティブな創造性は発揮されるものなのだ。

もちろん、そんな風にはこの時は考えられなかった。
しかし、実際に異質な二人の化学反応によって、私たちは導かれていくのである。

玉は私が持っている。
私が強引に誘ったのだから、まずは私が口火を切って自らの構想を話すのだ。
それだけのために、奇妙な4人がこんな薄汚い部屋に揃ったのだ。
ソファーに落ち着いて、皆が私の発言を待っていた。

私はあのファミレスでなつみさんに語った時よりは、
頭の整理もされた状態で、かつ冷静さを保ち、文化祭交流委員会の構想を披露した。
今日の場ですんなりに理解をしてもらえるように予め要点を整理し、
魅力を訴求し、一緒にやってみたいと思ってもらえるような工夫をシミュレーションしていた。

私は段取りをした通り、自分の中で必死に熱意を込めてプレゼンテーションをした。
しかし、タツヤは時折なつみさんや新井さんの方へ気を回し、
キョロキョロしながら、話を聴いているのかどうかすらも疑わしい落ち着きのない感じだった。

新井さんは何かをメモするように時より小さな無印良品のメモ帳にペンを走らせていた。
まるで対照的な2人に戸惑ったが、構わず話を続けた。

陽が落ちるのは早く既に外は暗くなっていた。半地下のようなこの部屋は益々暗みを帯びて、
申し訳なさ程度の光はぼんやりとなぜか電球色で光だけはやさしくそこに漂い私たちを照らしていた。

私が一気に話を終えると、タツヤはソファーから立ち上がって、大きな拍手をした。

「いやー凄いね。楽しそうだね。やろう!やろう!」

軽い感じだった。
馬鹿にされているとも感じた。
しかし、私は冷静であろうと努め、それを自分に言い聞かせた。
そんな軽率なタツヤと同じ土俵に立つこと自体に嫌気がさした。
なつみさんを前に自らの小さな器量を晒したくいという私の汚い見栄も手伝った。

突き詰めて考えればコンセプトや細かな制度や手順は定めなければならなかった。
しかし、要するに、繋がれば何かが生まれるという打算的なものでもあった。
宣伝広告やイベント運営、各種調達など連携できる部分はいくらでもあったし、
そういったものをシェアしながら進めることは私たちのやりがいにもなると信じていた。
それは用意周到に段階的に得られるものというより、
実際にはその場その場で思いつきの連続により、
振り返ると色々な副次的効果の恩恵を受けられるようなものなのだ。

そもそも人生など、いつもそうだ。
段階を経て、いくら準備を重ね、狙いを定めてみても、
走り始めると、様々な壁にぶつかる。思い通りにならないこともあれば、
想像もしていなかったような発見があったり、出会いがあったりもするのだ。
敷かれたレールの上からだけでは得られないところに、
本当に楽しみの価値は存在しているようにも思う。
ストラテジーからみて無駄なことであっても、
脱線してみることが、なんともいえないエッセンスを与えてくれることは多々ある。

タツヤは実は頭が良かった。
それはそうだ。ここは偏差値70を超えることが入学の前提条件のような学校だ。
私がもし入学を希望したとしてもギリギリ合格できるものの、間違いなく底辺なのだ。

軽い感じではあったが、ソファーの上に立ち上がった後に、
ホワイトボードにがりがりと課題やなすべきことを羅列していく時の表情は真剣そのものだった。
単なるお調子者なのかもしれない。
私が以前になつみさんと取り纏めた時の即席のTODOリストよりも
明確にわかりやすい纏めだったし、適度に私の話したことを網羅しつつ、
そこに脚色が加えられ、遊び心も滲んでいた。

タツヤはきちんと私の話を聞いていたのだ。
その上で、なつみさんと新井さんの受け止め方の様子を見ていただけだった。

私となつみさん、そしておとなしい新井さんも交えて、
侃々諤々と議論を重ねた。あれもできる、これもできると前向きな議論が多かった。
否定論調としないのは、ブレインストーミングの鉄則でもあるが、
誰から教わるわけでもなく、こういう場で経験することが出来た。
その方が滞りなく、またその構想に可能性の広がりを与えることができるのだ。
どうせなら、大きく膨らませたい、それはこの場の共通認識になっていった。

時計が21時を知らせると校内にチャイムが鳴り渡った。
時間を忘れて議論を愉しみ、可能性への夢は広がっていった。
気が付くと現実の時の流れに舞い戻ってきた。

するとタツヤは突然皆にその場に伏せるように指示をした。
その慌てぶりに、まずはなすがままに指示に従うしかなかった。
ソファーの上に身を屈め、その体の上に適当な毛布を被せた。
なつみさんと新井さんも同じように反対側のソファーに伏せて、同じようにたつやは毛布を被せた。
そして部屋の電球の明かりを消し、
すかさず自分は書類が重なる地面にうつ伏せになり、
そこに転がっていたジャージなどを自ら被り、自分の姿をカモフラージュした。

小さな声で、私は何事だと問いかけた。
タツヤは静かにと忠告してその場では答えなかった。
辺りはしーんと静まり返った。
さっきまで雑然としていたこのプレハブ小屋の各部屋から漏れ聞こえてきた音もパタリと止まり、
しーんと静まり返った。電気も消えた闇に包まれた。

しばらくすると、外を歩く歩み寄ってくる足音が徐々に大きくなってくる。
急に訪れた闇の静けさの中で、遠くからの足音はより大きく響き渡って近づいてくる。
すると、懐中電灯の光が外の窓からこの汚い部屋の内部をさらりと舐めるように照らした。
わたしはようやく事態を把握した。
警備員が夜の巡回に訪れるのだ。
届け出がない団体は21時までには完全下校が励行されているのだ。
私の学校ではこれが深夜0時であったから、意外にも早かったので事態の把握に時間を要した。

ただ、警備員も実は知っているのだ。
体裁として巡回をしているだけであるから、生徒が潜んでいることは実質黙認されているのだ。
だから幼稚な隠れ身の術で十分対応は出来るのだ。
ただ、そんな形式的な巡回であったが、これに引っかかってしまうとややこしかった。
まして、私は他校の生徒であったし、
さらにまずいことに、ここにいるはずのない女子高生が潜んでいるのだから。
万が一、ばれてしまうと釈明も大変となるに違いなかった。

巡回が終わると再び辺りに電気が灯った。
私たちを照らす電球もまたやさしい明りを取り戻した。
隣の部屋からかすかに聞こえてくるじゃらじゃらマージャンの音も復活した。
屈めた身を起こし、なつみさんと新井さんも同じように身を起こした。
一瞬の張り詰めた緊張から解かれ、ソファーの上でお互いが向き合うと、
その突拍子もない混乱に笑ってしまった。
地面に伏せていた、タツヤは急な混乱と緊張を与えたことにちょっと罰が悪そうに、
悪い悪いといった様相で平謝りをした。
くだらない難局を乗り越えたこの経験もまた私たちの出会いのアイスブレークになった。
ちょっと悪いことをしている時、それを共有するとなぜか絆は深まる。

だいぶ話は進展したし、飽和もしてきた。
だいいちお腹も空いていた。
こんなに盛り上がるとは思っていなかったから、
ここまで話が盛り上がり、今後のことを詰められたのは大きな収穫でもあった。
この部屋の猥雑さに最初はどうなるものかと思ったが、なんとかなるものだ。

なつみさんは私の方へ優しい笑みを向けてくれた。
それは今日の手応えを一緒に喜んでくれているようで嬉しかった。
一歩前進したことを表情を通わすことでそれは実感としての一歩と感じた。

タツヤはメシ食って帰ろうと、行きつけの中華屋へ案内するという。
確かに空腹ではあったし、この辺りの地理には明るくなかったから
タツヤの申し出にただ従うしかなかった。
女子二人を連れて行く店として大丈夫なのかと不安は過ぎったが、
もう野となれ山となれだと思った。

駅の方向に歩いていった一本路地裏にその店はあった。
典型的な小汚い食堂であり、その店頭には色あせた食品サンプルが並んでいる。
ラーメンやチャーハン、そして餃子が並んでいるのは当然であったが、
かつ丼やカレーライスまでがラインナップされておりこれは正真正銘の大衆食堂であった。

タツヤは女の子2人の意向も聞かず、引き戸の扉をガラガラと開けて中に入っていく。
私はともかく2人は大丈夫かと案じながら店の中に続いた。
難しそうな大将が厨房で年季の入ったフライパンをあおっている。
小さなテレビが天井から吊り下げられていて、
くだらないバラエティー番組がけたたましく垂れ流されている。
ひな壇のタレントの大げさな笑い声が殺伐とした食堂に些細な賑わいをもたらしていた。
店には、真っ赤な色を配したカウンターのテーブルが並び、
その横に4人掛けの小さなテーブルが2セット並んでいる。
机の上には筒上の割り箸が詰め込まれていて、
故障やラー油、しょうゆなどのの調味料がセットされている。
小さな瓶ビール用のグラスにセルフサービスで水を注ぎ、自席に座る。

カウンターにぶら下がる和洋折衷のメニューが書かれた札は、
長年の油の汚れなどで変色して決して清潔感はない。
タツヤはいつものと注文をさっさと通し、
やれこれがうまい、あれがうまいと私たちに講釈を垂れた。
自分の馴染みの店に案内するのは嬉しいものだ。
タツヤも今日の出会いに喜び、そして私たちをここへ案内出来て嬉しいのだろう。

新井さんは少し戸惑いつつも無難にラーメンを注文した。
タツヤが注文したいつものは、ラーメン半チャーハンに餃子だったから私もそれにした。
やはりこの手の店ではそれが王道だと納得した。
なつみさんは、元気をつけなくっちゃと、嬉しそうにレバニラ定食を目聡く見つけ注文した。
私とタツヤは、そんな男前のなつみさんの様子を見て驚いた後、笑った。

なつみさんは、えぇ別に笑わなくてもいいじゃんと、
冗談で私とタツヤをどついて、その笑いを一蹴してみせた。

私が女の子に気を遣い、店のチョイス大丈夫なのかと気を揉んだのは、
結局のところ、通り越し苦労だったのだ。

汚い部屋に押し入って、わけもわからずに掃除をしたり、
いきなり身を隠すシーンに遭遇したり、
小汚い店に連れて来られても、なつみさんはそれに順応していたし楽しんでいた。
そして、私もまた、自然体であることへの順応していけばいいと思った。

タツヤとの関係性においても、異なるタイプの人種であることに変わりはなかったが、
私自身がその関係性へ順応していけばいいのだと思った。

しばらくすると、食べきれない位のデカ盛りのラーメンに、
とても半分とは思えない半チャーハンが運ばれてくる。
これだけで2人前を超える量は間違いなくあった。
そこに餃子がなぜか10個ずつ盛られてくる。

レバニラのお盆はさすがにご飯の量は調整されていたが、
もやしで嵩増しされていたとはいえ、明らかに女の子にとっては大盛りだった。
ここの大将はそんな当たり前の量の調整が出来ないくらい、感覚が麻痺しているのだろうか。
しかし、そんな大盛り定食をなつみさんは嬉しそうに受け取り、箸を進めた。

狭い4人席で肩を寄せ合い、ラーメンを啜り、定食をかきこむ。
そんなシーンが妙に楽しく、おかしく感じた。
新井さんもようやく緊張から解かれてきたのか、
少しずつ自然に笑ってくれるようになった。
食事は人との距離を近づける。
それはこんな町中華でも十分だった。
むしろこういう雑多な店だからこそよかったのかもしれなかった。

「あぁ、お腹いっぱい。でもおいしかったなぁ~」

なつみさんの華奢な体のどこにこんな大盛りの定食が入るのか不思議だった。
それでもすべてを平らげた。
皆がお腹がいっぱいになり、私たちは天井を仰いだ。
なんだか、幸せだった。

そんな満腹の状態で、すぐに電車に乗って大丈夫か案じられたが、
既に時間も遅く、うかうかしていると終電の時間になってしまう。
高校生が出歩くには不自然だったし、いよいよ私たちは不良のようなものだった。

駅の改札でタツヤと別れると、ホームへの階段を降りた。
1番線と2番線が対面に離れていて、その間に電車が行き交う。
私は下り電車、なつみさんと新井さんは上り電車だった。
新井さんには悪いとは思ったが、なつみさんと二人で少し話したい気持ちがあった。
後ろ髪引かれる思いだったが、容赦なく、2つのホームの間に電車が滑り込んでくる。
ぎりぎりまで手を振り別れを惜しんだ。
上り電車が先に到着し、2人を乗せて電車はゆっくりと走り去っていった。
もう向いのホームには2人はいなかった。
1人になって、まだ来ない下り線のホームに一人になり、不思議な今日を回想した。

これから大きく期待が持てる気がした。
最初の戸惑いも自分が順応していけばいいし、
それも悪い事ではないのかもしれないと思った。
これまで避けてきたものから逃げずに順応していくことが、
今後のこの交流会を大きくしていくためには必要なことでもあるのだろうと思った。
そしてタツヤのように自由に赴くままに過ごせることは素直に羨ましいとも思った。



第8章 混沌 へ続く

 
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