投資方針に忠実に退屈な投資で資産形成

※投資に関連しない記事です。
(興味ない方はスルー願います)



この 私の青春の一コマ の続編です。



私の男子校での生活がはじまります。

KさんやNさんとの淡い思い出は、
長い年月で積み重ねてきたものであり、
卒業式から入学式までの慌ただしく過ぎ去る数日で、
その思い出は色褪せていくわけもありません。
むしろ日に日にその切なさ、感謝、愛しい気持ちは募っていきます。

桜の花が蕾から花を咲かしせわしなく散っていく、
そして新緑の葉をつけていくように、
私の気持ちもうまく切り替わればよいですが、
青年となった私の心はそんなに単純ではありませんでした。

そんな感情豊かな思春期真っ盛りの中、
入学式が催される体育館で男一色に染まる、
その異様な光景を前に私は愕然とし、
美化された過去へ戻りたい衝動に駆られます。

過去は美化され、曖昧な記憶は都合よく穴埋めされます。
現状の不安を過去に戻る思考に振り向けて、
安心感を得ようとするのは私だけの思考の癖なのか、
誰しもがそういうものなのかわからないまま、
期待より遥かに大きい不安が重く、
そこから逃れたくてもがくような新生活のはじまりです。

通学の途中で行き交う高校生の中に、
馴染みの旧友を探して、一言挨拶する時の嬉しさ、安堵感。
そして、同じ地元の女子高に進学したNさんを平穏な顔でありつつ、
必死に探す普通じゃないメンタルの私。
そして、気軽に気持ちを吐露し合ったKさんは、
もうこの街から去ってしまった喪失感。

そんな風に過去に引きずられながら、
それでも新たな日々は容赦なく進んでいきます。
進学校としてのハイペースでありながら
自分でなんとかせいという雑な授業で、
徹底した放任主義はまるで中学の時とは違う自由があります。

自由と責任という講釈を聞かされ、
その中で自分がどうありたいのかということに
向き合うべきなのだという
ある意味でとても難解な教えでした。
勉強をするのか、そうではない道をいくのか、
そもそも学ぶとはどういうことなのか、
全てを自分の感性で決めなければならない難しさは、
今にして思うと、とても価値ある校風であり、
そういう中で高校生活を満喫できたことは、
私のその後の人生にもとても大きなものとなりました。

女の子と仲良くなりたければ、
そのように行動して可愛い彼女を作って満喫する奴もいました。
私にはそんな大胆な行動が出来るだけの容姿も話力もなく、
根本的に自分に自信がない根倉ですから(今もですがw)、
そんな言動に繋がる思考は持ち合わせていませんでした。

ただ、過去の思い出を、思い出として風化はさせずとも、
胸にしまい、新たな道を歩む必要性を強く認識していくことになります。

それは様々な個性に触れて切磋琢磨していく
男子校の良い部分かもしれませんが、
そういったハングリー精神のような中で
変わっていくことに意欲を持つようになります。

美化された過去から解き放たれるためには、
今を充実したものにし、今を変えることが大事なのです。



高校1年の夏。
私は沖縄の地に降り立ちます。
機内から望むその海は、青というより緑で、
サンゴ礁が広く生育している水面は輝いています。


沖縄は海の綺麗なリゾート観光地という面もありますが、
一方で、今でも米軍が駐留しており、
かつては戦火にまみれた痛ましい歴史を持つ面もあります。
本州に暮らし軍という存在と無縁の人間からすると、
あれだけ間近に飛ぶ戦闘機の爆音の脅威だけとっても、
異様な光景が広がる場所でもあります。


そんな沖縄に平和学習という名目で、全国から高校生が集い、
現地の高校生のガイドで本島内を巡るというのが訪れた趣旨です。


実際に熾烈な当時の激戦状況を伺い知ることで、
本質的な幸せとはどういうことかを実感することになります。

観光地というと違和感があるのですが、
糸満から更に南に抜けた南端のひめゆり学徒隊の自決の舞台となったその地に、
祈念碑が建てられ資料館で経験談に耳を貸し、
その場に集った全国の高校生の仲間とその悲惨さと、
今の幸せなことにただ感謝をするという
当たり前の事実確認をしていきます。
南端に広がるエメナルドグリーンが映える東シナ海は、
今でこそ穏やかですが、
この海に飛び込まざる得なかった多くの若者に
思いを馳せるとなんともいえない感情がこみあがってきます。

沖縄は戦争時に唯一地上戦が繰り広げられたこともあり、
今でも多くのガマと呼ばれる防空壕のような場が点在としています。
そんな中を実際に巡る中で、必死に伝えようとしている現地高校生ガイドと、
そこに集う全国から来た高校生との絆は日に日に深まっていきます。


当時は関東圏の女子高生といえば、ルーズソックスとミニスカートです。
しかし、ここに集った女子高生はどちらかというと地方から来ていた人が多く、
膝丈よりやや長いスカートでルーズソックススタイルなんていません。
しかし、その姿が純朴で口下手な私でも話しやすく、
深まる絆と共に久しぶりの女子との交流に少し心が躍っていました。
全国各地の方言の良さに初めて感動したのもこの時でした。

悲惨な光景を目の当たりにし、
しかし、現地の高校生が明るく、うつむいて悲しみに暮れるわけではなく、
むしろ平和な今に感謝をして皆でこの交流を楽しもうという形での
運営でしたから、むしろ過去のそういったむごい事実を通して、
今の絆が深まるわけです。
決して不謹慎ではない自然な事だったと感じていました。

多くの学徒隊の記録において、青年と女学生の別れが描かれ、
悲痛な手紙などに目を通すたびに涙があふれ、
本当に大切なことというのを高校生ながらに考え、
またそこでの仲間と語らうことが、
どれだけの机上の勉強では得られない豊かな感性を育むことに
繋がったかは想像に難くないと思います。

そもそも今の時代のようにネット社会ではありませんでしたから、
全国の津々浦々の高校生と交流を持てる機会というのは、
とても限られていました。ようやくポケベルが普及し始めた時代です。
(要するに携帯電話もない時代ということです)
そして、北海道から沖縄までの各県の高校生の中には、
明らかに容姿端麗でかわいい子が沢山いました。
男子校で久しく女子との交流もなく、
余計に舞い上がっていたので余計にそう感じたかもしれません。
そんな子を見て心をときめかして、
談笑したりできることに浮足だっていたのもまた事実です。


ただ、私が忘れられないのは広島から参加していたHさんです。
地味なブレザーの制服に膝丈よりやや長い黒色のスカートに身を包み、
黒髪のショートカットで女性らしさというより、
どちらかというと男性的な印象が強かったです。
しかし、その表情は豊かで、
悲しい事実に触れた時に感情を隠さずに涙したり、
何かを真剣に語り合う時の鋭い目にキリっとした表情、
でも他愛もない会話をしている時のはにかんだ表情と
バリエーション豊かな多面性に富んだキャラクターはとても魅力的でした。

ガマの内部に入る時には、急こう配で足場の悪い中を進むこともあり、
手を取り合い進むわけですが、
自然とHさんの手を取りそんな一瞬にちょっとドキッとしたりするわけです。
多くの人が自決したガマ、今ではひっそりと平和な日本の中に佇む、
しかし悲惨な過去を受け継ぐその現場で、
女の子の手を取る一瞬にそういう感情を頂く自分に葛藤したりします。

Hさんとは、移動のバスの中でも自然と隣り合って座るようになり、
冗談を言い合うこともあれば、
今の幸せの重要性について真剣に語り合う、
そんな青臭いような話にトコトン向き合いました。

目にするものすべてが新鮮でした。
戦史に残る場所もそうですが、
琉球の踊り等の現地の文化にも触れました。
沖縄料理はちょっとグロテスクであったりもしましたが、
本場のがじゅまるの木の灰を練り込んだ
沖縄そばは、絶品でした。

毎日が出会いと悲しみと楽しみで忙しい日々。
そして、最後の日の夜。
もちろん健全な高校生ですから、
部屋に押し掛けるわけではありません。
自然と二人で誘い合い、
ホテルの屋上のテラスで最後の語り合いの時です。

ヤシの木が植えられたそのテラスには、
簡易的な椅子があって、そこに腰かけて話は始まります。


彼女は広島から来たということもあり、
おもむろに祖父母の話を始めます。
そう、ヒロシマのことですね。


祖父母がどのような苦境を生き抜いてきたか、
そして、その中で、自分の親からどのようなことを教わり、
そして自分がどういうように生きていきたいか、延々と語ってくれました。

それはとても刺激的な時間でした。
私は進学校に進学し、Hさんよりは勉強が出来た自負がありましたが、
子供の時から何を大事として生きてきたか、
そして自分は看護師になるんだと夢を語ったその瞳の輝きは、
とても眩しくて、同時に自分の曖昧な生き方への儚さと
恥ずかしさを感じます。

平和を知るために、過去の悲惨さに触れて、
何かに同情して、自分も頑張ろうという漠然とした次元ではない
自分が見えている視野と明確な違いを感じました。
同じ高校1年生でありながら、こうも違うものかと
改めて思い知らされるわけです。

時間は既に日が変わり夜も更けていきます。
それでも最後の夜の話は尽きません。
それは熱い思いを込めた今後の誓いのような話もあれば、
あるいは日常の高校生活の雑多で
他愛もないことまで様々です。

1週間という長いようで短いこの出会いと共に過ごした時間。
しかし、間もなくそれぞれの地に帰るお別れとなります。
それを知っているので、お互いに眠い目をこすりながら、
語り合いは続きます。

そして、やがて徐々に夜明けを告げるように、
彼方に広がる海の水平線の先がオレンジ色に染まっていきます。
そこには間違いなく平和な新たな1日が保証されており、
かつての戦争時の夜明けが来ない日々とは違い、
こうやってゆっくりと語り合えることにありがたさを感じます。
そして、この朝焼けから太陽の日の出を迎えて、
新たな1日がはじまり、そして別れの日がきたことを実感します。

その朝のやさしい光を浴びて、
最後にHさんが涙を流してこの1週間にこみあげてくるものがあり、
そして私へのありがとうを言ってくれました。
私も高校1年生で受け止めるにはあまりに濃い経験と出会いに、
感情が高ぶって一緒に涙を流しました。
別れが寂しいというのはもちろんなのですが、
なんとも言葉にならない感情でした。

夏の沖縄の朝は少しひんやりしていました。
そんな中で私とHさんはそのテラスで握手をしました。
自然とこの時にはドキッとした感情はありません。
女の子慣れをしていない私でも自然とそれを受け入れられました。


結局一睡もしないまま、沖縄のガイドを務めてくれた仲間、
そして全国から集まった洗練された女の子とも、
あるいは陽気な男の子達とも、
皆との別れを惜しみ、それぞれの地に帰ることになります。

最後にHさんと、住所の交換をしました。



その後、Hさんとは文通をすることになります。
文通っていつの時代かと思うかもしれませんが、
当時は電子メールもミクシィも携帯電話もLINEも何もありません。
ただ、その不便さがまた良かった時代なのです。
その後それぞれの学校生活のことや頑張っていることなどの
やり取りをしていました。
ただ、不思議と、あのオキナワやヒロシマでのことは、
あまり話題になることはありませんでした。



この沖縄の経験を通して、私の高校生活は大きく変わります。
それだけのエネルギーを持っていたのです。
勉強には一切手をつけず、
徹底的に自分がこれだと思うことに情熱を傾けます。
その中で多くの貴重な人との出会いをしていくことになります。
それは男女問わずです。


そして、Kさんの喪失感やNさんへの想いは、
過去の思い出として心の大事な箱に大事にしまうことが出来たのです。






さて、だいぶこれでも話をはしょって書きました。

何か感想なり疑問等があればコメント頂けると嬉しいです。

ちなみに、このHさんとは高3で再会を果たすことになります。

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ログミーファイナンスさんという情報発信メディアをご存じですか。

株式投資に関わっていますと、
様々なアナリストレポートやら、
自称専門家の相場見通しやら、
ファンドマネージャーの見通しレポートなど、
様々な情報を目にすることも多いわけです。

そんな中で、ログミーファイナンスさんを私が認知したのは、
昨年の事だったと思います。
アナリスト向け決算説明会や株主総会などをメインに、
そこでのプレゼン内容を書き起こしてらっしゃいます。

愚直なまでにその場のファクトを損なわないよう、
一字一句に渡りログが取られており、
読んでいるとその場にいたような雰囲気になれます。
(もちろん空気感とか表現までは感じ取れないのが残念ですが)

アナリスト向けを対象としていたり、
平日に開催される株主総会などは、
特に私のように兼業投資家ですと接する機会も少なく、
残念に思っていましたら、自分の興味のある銘柄のレポートが
ログミーファイナンスさんから発信されていると、
おおっ!これはありがたいと読み漁るわけですね。

今後、益々掲載会社を増やしていくようですし、
それを無料で提供して下さっているわけですから、
やはり私のような知りたい欲求を無駄に持ち合わせている立場からすると、
とてもありがたいメディアだなと感じているわけです。


さて、ツイートもしましたが、
そのログミーファイナンスさんにお声掛けを頂きまして、
宴席にお招き頂きました。私はいわゆるオフ会のような場には出現しませんが、
いつも参考にさせてもらっていることもありますし、
この機会に色々意見交換をさせて頂けるのであれば、
願ったり叶ったりということで参加させて頂きました。


お招き頂いたご縁があるからと色眼鏡になるつもりもありませんが、
率直なところでいくつかその様子を共有させて頂きたいと思います。


■編集はとにかく大変だな・・・
ログミーファイナンスさんの記事を拝見していると気が付きますが、
一字一句をただ連ねているだけと思いきや、
その配置やキャプチャの挿入など配慮が随所にみられます。
一字一句を拾っているようなトーンでありながら、
流れるように読める工夫がなされていることを実感していたわけですが、
そのためにどれだけの編集労力がかけられているか、
実際に編集をされている方から話を伺う中で頭が下がる思いがしました。
しかも、IRというか株の世界全く知りませんという方も編集におり、
専門用語や暗黙のしきたりなどもあると思うので、凄い苦労だろうと思いました。
また、即時性も大事にされているようで、夜なべをして対応されているのだと思います。
それでも、日本語を扱うことが大好きと笑顔で話されていた編集の方をみて、
あぁ好きこそものの上手なれだなと思いました。
決算シーズンにエクセル作るの大変だ~
なんて泣き事を言っている私は凡人だと悟りました(笑)。
細かなことは割愛しますが、これから記事を読む時のありがたさがかわりますね。


■QAの様子の扱いは難しい
決算説明会の記事では、相応の企業の記事において、
事後に行われるQAの様子は割愛されています。
これには様々な背景やシガラミ?があると想像していたわけですが、
やはりそういう様々な事情があるようで運営側としても悩まれているようでした。
ただ、私もここは強く主張したところでありますが、
やはり投資家にとっては、素が見え隠れするQAこそ、
説明会の醍醐味であると考えており、
その対策について様々な意見交換が出来ました。
運営外ですから好き勝手なことを言い過ぎたかなと後悔もありますが、
しかし率直な要望をお伝えすることは、
長期的にみればよい事だと思っています。
仮に編集されたものであってもQAはあった方がいいかという議論もあり、
それはないよりあった方がいいのは間違いないと即答しました。
実際には企業側に編集されてしまうと都合のよいようになりがちですが、
少なくてもどのような質問が取り上げられているかにも興味がありますからね。
もちろん、理想はありのままでそのトーンまで伝わればいいのですがね。


■情報の即時性について
決算説明会は多くが昼に兜町のアナリスト協会の会議室で行われますが、
原則はその翌日(寄り付き前も意識されていますね)を目指されているようです。
出来るだけアナリストと時間的な情報差異が生じないようにとの配慮で、
編集の方含めて対応されています。
ただ、これは私だけが異色の意見でしたが、
即時性は優先度としてはそこまで高くないということです。
その場では皆さんが即時性は大事だし大事にしていくという立場でした。
まぁそれは早いに越したことはないんですがね。
こればかりは投資スタンスの問題かもしれません。
多くの方はそういう場で強気な発言やポロっと系の話があったりすると、
株価も動意付くこともありますから、
その波を取りたいという立場であれば、出来るだけ早く知りたいというのは、
自然な発想だと思います。
一方で、長期的な価値向上や企業の本質的な収益力や成長力、安定志向などの
ファンダメンタルズは早々変わるものではありません。
従って、ひとつひとつの場でどのような説明があったかをトレースしていくのは、
単純な興味としても面白いわけですが、
ではそれを少しでも早く知りたい、他の人が知りえぬうちに先行したいという
発想は敢えて持たないように、そういう感情を押し殺していますので、
個人的には即時性より企業の網羅性やひとつひとつのレポートの価値向上、
あるいは長く編集の方が面白いと思って続けられる環境を継続してもらえればな、
そんな風に感じました。


■取り上げるのは中小型がいい
ここ最近取り上げられている企業をみると、
やはり個人投資家に好まれそうな銘柄が
徐々に多くなっているなと感じます。
ただ、驚いたのですが、立ち上げ当初は、まぁまずは日経225から押さえていこう
と始めたそうです。
皆が名前を知る会社、もう酸いも甘いもプロにも知り尽くされた銘柄ですから、
そういう銘柄のログは読み物として読むのは面白いですが、
投資活用という面ではやや魅力に欠けます。
その点はお伝えしました。
やはりマザーズ上場で勢いのある、つまりIRにも色々チャレンジしたいと
燃えている会社が有望でしょうと。
ただそれだけだと偏ることもありますし、
埋もれた価値を発掘するという意義から、
東証2部銘柄など埋没した会社でIRもどうしていいかわからないというような
会社にも積極的にチャレンジして欲しいともお伝えしました。
また、個人投資家からリクエストをもらうような活動も面白いという件でも
盛り上がりました。
ただ、一工夫しないと、様々な温度感のリクエストがチャンプルーになるため、
何か策があるといいねという話にもなりました。
いずれにせよ、今後益々掲載者数を増やすモチベーションも高く、
我々にとっては益々期待が持てるメディアになるなと感じました。


■有料化は許容できるか
個人投資家サイドは閲覧によって課金はありません。
というか全て無料で提供されています。
事業として見た時に、ここに課金許容度があるのか
推し量りたかったものと思いますが、
その場では課金の許容度は低いというのだ大勢でした。
そんな中、ここでも私は異色でその中では比較的受容派でした。
今後掲載者が増えていったり、
細かな周辺サービスでもって付加価値が増してくれば、
従量と定額の考えでマネタイズ余地はあるのではないかと思いました。
ただ、決算説明会というアナリスト協会が主催する説明会をソースにして、
課金ビジネスが成立させられるかというのにも様々な障壁がありそうです。
ただ、思い切ってそこでの存在感を活かして、
独自ルートで取材をするなどしていける余地があれば、
またそれを忖度せずに記事に出来る主導権が取れれば、
また景色が変わってくるかなと思います。
残念ながら、ライターや編集の方がぎりぎりと企業側に投資家目線で
疑問をぶつけていく様子でもなかったので、
そういう尖った方が取材出来れば、
体たらくの四〇報よりよほど需要があるのではないかと思います。
ガチで決算説明会に留まらず、そこでの関係性でもって、
企業のIRをありのままにサポートして、
良きも悪きもメディア化出来れば、相当な価値になると思います。
ただ、それをやられてしまうと益々投資家がコバンザメ化して
大衆化してしまうかもしれませんから、どうあるべきかなとは、
帰り道に考え直しました(笑)。
四〇報やそのオンラインサービスで、取材が甘いソースにも
課金している方も多い(私も書籍だけは買っていますしね)ので、
なにか余地はあるのかなと思いますけどね。


■IPOは?
価値ある情報をメディア化するという時流に乗りそうでありながらも、
一番の資金需要はやはりライターや編集、そして営業といった人材ですね。
労働集約型なんですよね。ただ、その編集力や
あれだけ既得権益の世界で風穴を空けて掲載者を増やしていける営業力などが、
今後障壁になってくるものと思います。
確かに動画UPが原則なんて全体指針が出てくると、
相対的に存在意義が低くなってしまいますが、
それでも編集によるわかりやすさなどの付加価値は失われません。
であれば、親媒体も大きいですから、
IPOしてもよいのでは、と思って質問をぶつけてしまいました。
ひとつあるとするとメディアという立場上、
中立的な立場などいくつかのポリシーもあって、
IPO理念にそぐうのかというそもそも論のような話もありますね。
それはそうですよね。
でもそういう会社の方とこうやって出会いの機会を頂き、
熱く今後事業を育てたいという方とご一緒出来て、
あぁ窓際サラリーマンの自分は・・・なんて思いましたよ。
もちろん、窓際サラリーマン万歳!ですがね(笑)。


■編集後記とライター後記
一貫してファクトのみにフォーカスを当てて、
ライターや編集者の所感を排除している様子がうかがえます。
本編としてはそのわかりやすさがうけますし、
変に仮説や推測が入るとノイズにもなりますから、
それを避ける意味合いからも現状では意識的に
客観性を重視しているように思います。
一方で、編集をされている中で感じる温度感や雰囲気みたいなものを
後記としておまけで書かれているとより読み応えが増すかなと思います。
(もちろんそれがノイズになる方もいるのであくまでおまけで読みたい人だけ読む)
ただ、企業側と良い関係の中で成立する仕組みでもあるため、
ネガティブな事は書きにくく、結果、差し障りのない後記になってしまいそうですね。


■まとめ
今後は当面はやはり掲載者を愚直に増やしていくことで
認知度と存在感を上げる事に注力することになりそうです。
そのことが今後未導入の会社への働きかけにもつながり、
結果的に営業リソースをかけずとも存在感を増していくことになり、
また視読率向上にも繋がります。
そうなればまた企業側への存在感も大きくなり・・・
という感じでうまくスパイラルが機能しそうです。
そして、その存在感によって、主体的な取材やサービス拡充にも
余地が生まれそうですね。
リスクとしては、情報開示姿勢のポリシーが変わり、
クローズドな場が閉鎖されていくことにより、
大衆化することでしょうか。
(なんだかログミーファイナンスさんの成長銘柄分析チックになってしまう。。。)




まぁ他にも色々な話を伺ったりしましたが、
純粋にご縁で出会いの機会を頂いたログミーファイナンスさんに感謝ですし、
今後、目に留まる機会も増えてくると思いますので、
情報はフェアに公にされる中で、みんながそれぞれのスタンスで
有意義に活用出来るようなひとつのプラットフォームになってくれると
私も一ユーザーとしてとても嬉しく思います。

別にログミーファイナンスさんから頼まれたわけでもないのですが、
勝手に所感を述べさせて頂くと共に、
この場を借りて日頃の活動の御礼を申し上げます。



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私たちの生活の中では情報は欠かせないものになっています。
有利な情報を得ようと競争しているような印象もあります。
しかし、本当にその情報戦は必要不可欠なものでしょうか。
情報があればうまくいくし、
情報をいかに得るかが様々な領域で成功をする第一歩だという風潮が
増しているように感じています。
クローズドな情報にこそ価値があり、
それを知るか知らぬかが明暗を分けるのだ。
もっともらしい気もしますが、私は疑問を抱いています。


株式投資に関わる者であれば様々な情報に接することは重要でしょうし、
会社の中でうまく立ち回るためにも様々な情報戦が繰り広げられているものです。
何かを買うといった時にも、よりよいサービスや魅力的な価格の情報は
誰しもが欲しいし、実際に情報商材がもてはやされている事例も散見されます。

自分がより優位な立場になりたいという思いから、
情報を得ることに躍起になり、情報戦の競争となります。
実際にその戦に勝ち、成功を手中とする人も沢山いるわけです。
昨今ではSNSも充実しIT化の時代ですから情報を得るための
プラットフォームは進化を遂げてきています。
それを本気で活用すれば情報はいくらでも得られますし、
更にITは人脈形成を容易にして、それを辿れば、
ビジネスだって出来るとどんどんスケール化していきそうです。
口コミビジネスも進化していて、今やEコマースでの口コミは必見でしょうし、
口コミを寄せた方へのインセンティブで
それが歪められるような事態さえ見受けられるようになっています。

この情報のあり方に関する考察については、専門家も多いですし、
多くの方に持論があるものと思いますが、
私はやはり競争環境のような情報戦からは距離を置きたいと考えています。


よく詐欺師まがいの耳より情報というわかりやすい話は
論じるまでもなく悪なのでよいですが、
投資家界隈で巻き起こる様々な情報戦についてはどうでしょうか。
もちろん、ここで善悪を結論づけたりするつもりはなく、
個人の価値観に拠るということでよいと思っていますが、
私なりの解釈を自分のためにも改めて整理しておきたいのです。

株式投資において情報鮮度が大事であり、
少しでも上流の情報を求めていくのは自然な流れかもしれません。
最近目にするようになったイナゴ問題もあり、
自分が底辺イナゴにならぬように躍起になってうまく対処をしようとすれば、
ある程度はうまくいくのかもしれません。
ただ、一方で企業の本質的な価値を評価して自分の中で妙味があると思うものに、
投資をしていくという本質的原理の立場に戻ってみると、
まだ知られていない情報が判断の拠り所になるのはおかしいですし、
もしそれがインサイダー情報に当たるのであればそもそも法律的にNGになります。
また、敏腕投資家の売買動向や推奨の声などから先回りをしようという発想も、
やはり違和感を感じるわけです。

私は株主総会やIRなどで企業と接点を持った場合には、
自分の頭の中の整理が主目的とはなりますが、
その様子を広くブログで公開をするようにしています。
ただ、中にはですね、
そういう情報は拡散しないで欲しいなんて声を頂くこともあります。
それを公開されてしまっては情報戦で
戦いづらくなるではないかというお叱りの趣旨かと思います。
しかし、私の感覚ではそこで見聞きした情報は、
原則的には包み隠すようなものではないですし、
広く周知の目に晒して各自の判断に活かされるべき情報だと考えています。
もちろん、オフレコと公言された話(インサイダーではないけど)や、
事業の細部に渡るもので企業の競争環境上への配慮はしているつもりですが。
ですから公の中での情報は、何も競争して得る類のものではないという理解から、
そういった声は受け流して公開し続けています。


新たな投資先を選定する際にも、
私は他の方の声は出来るだけ横に置いてまずは自分で見るようにしています。
耳寄り情報を人脈やネットを深堀りして探すようなことはしませんし、
やれるだけの人脈もありません。

愚直に与えられた公の情報から調べて、
仮説を立てて、IRに電話をしたりしてそれを開示可能な範囲で回答をもらい、
その仮説の強弱やリスク許容度を測り、投資判断を下しているつもりです。
その際にはもちろん、自分が求める利回りを考慮していますから、
大きく「当てる」必要はありません。
大きく当てたい、だから人の知らない情報を知りたいという発想になりがちですが、
私の場合、小さくコツコツでよい、だから安全性が高くて
理解をしやすいものから探そうという発想になります。
このプロセスで人が知らないお宝や耳寄り情報を得ようという発想はありません。

しかし、世の中情報戦の時代ですから、
いわゆるお宝や耳寄りな情報を持たれている方もおり、
そういう方やその一派の方からみると、
私の退屈なやり方やメインシナリオから外れた投資判断に、
疑問を持たれる方もおられると思います。


きっとそれは求めるもの、特にスピードが異なるのだと思います。
誰しもが早期に資産を増やしたい、そのためにやっているのだから、
情報もうまく得て活かしていくんだというのはとても自然なことです。
一定の資産形成スピードや効率を意識している方は特にですね。

ただ、私の感覚では誰しもが知る(知り得る)情報の中で、
より自分が自信を持てる視野を持ったり、
あるいは投資したいという根源的な情熱を得たり出来ることが
大事ではないかと思っています。
自分の知見が厚くなればより早く、より網羅的な判断が出来るので、
確度の高い判断ができるため、
その素養をじっくりつけていきたいと考えています。
その上で、常々自分に言い聞かせているように筋の良い儲け方を実践し、
再現性を持てるようなやり方をじっくり作っていきたいと思っています。

そういう価値観で改めて情報戦の競争の是非について考えてみると、
私はやはり距離を置いて地味なやり方を貫きたいと考えています。
最近では株価の高い水準感もあって、どうしても銘柄選択がより地味になっています。
この布陣で本当にやっていこうと思っているの?と思えるかもしれません。
ステップ?東鉄工業?トーカイ?ルネサンス?
最近の新規購入銘柄、正気ですか?と思いますよね(笑)。
成長株投資するじゃなかったのと。

カタリストもなければ、何か情報あるわけでもないわけですが、
そういう情報を求める活動からは少し距離を置き、
自分なりのやり方を貫いて細々とやっていければいいかなと思います。


有益な情報やそれを授受するプラットフォームが充実しているから、
悩ましくなるんですよね。
最近ではオフ会も盛んでとても充実した内容のものもあると聞いています。
そういう場で様々な銘柄やその情報に触れることは、
間違いなく有益だと思います。
異なる知見を得て自分の判断をより強固にすることは、
とても良い機会だと思います。

ただ、情報に接する時には、
自分の芯をはっきりともっていないと、
単に情報に翻弄されるだけになってしまう可能性もあります。
そんなことを考えないで飛び込んでみればいいんだよ、という声も聞こえてきそうですが、
やはり私はもう少しマイペースにやっていこうと思っています。

やっぱりアグレッシブさに足りないんでしょうかね。

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※投資に関連しない記事です。
(興味ない方はスルー願います)


一応、桜の撮影に出かけた この記事 の続きです。



中学3年生に進学し、私も人並みに恋をしていました。

勉強がとても出来る秀才でありながら、
決してお高く止まるようなこともなく透き通った印象で、
ドリカムが好きなその子は、いわゆる普通の女の子でした。
容姿も超絶美人というわけでもなかったのですが(失礼)、
自分を強く持っていながら、ほんわかした雰囲気に虜になっていました。

幸運にしてその子とは中学3年という大事な時期を
同じクラスメートとして過ごしました。
実は、クラスの中でもその子は男子から恋愛対象として特別人気があるわけでもなく、
しかし、男女問わず、誰からも好まれるコミュニケーション力の高い子でした。

今、当時を思い返して、ドリカムを聞きながらこれを書いているだけで、
とても胸が熱くなり、なぜか涙腺が緩くなる感覚に襲われます。
(桜の中での卒業の別れの光景を見てもこの当時の事が思い浮かばれました)

結局、その子とは同じクラスメートとして、
高校受験という大切な時期を共にしましたが、
卒業まで直接想いを伝えることは出来ませんでした。

クラスの成績は私とその子が常に学年トップを張り合い切磋琢磨し、
彼女は女子高に、私は男子校に進学しました。
どちらもトップ進学校です。それぞれ志望校に合格したわけですが、
その子は地頭が良いのに対して、私は地頭がよくありませんでした。
(私は中学1年までは通知表でもオール2の常連でしたからね。)
ですから、どちらかというと私がその子を目標に頑張っていたわけです。
ですから、そんな目標であり、憧れであり、好きな人であるその子と
別れることに途方もない空虚感に支配された事は今でも鮮明に覚えています。

当時、想いを伝えたとしても、
彼女にとって私はクラスメート以上の存在ではなかったですし、
そもそも彼女と私では不釣り合いでしたし、
そういうネガティブ発想しか持てないイケてない少年でしたので、
秘めた想いはそのまま胸にしまうしかない、
そんな甘酸っぱい片思いでした。

卒業というイベントで、好きな子との別れでしたから、
少年時代の私にとっては何とも言葉で表現できない感情でした。


そして実は青春の1コマとしてこのありがちな
片思いの子との別れとは違う、
もうひとつのストーリーもありました。


偶然にも3年間同じクラスメートだった子との話です。(Kさんとしましょう)
このKさんとの話ですが、
少なくても、当時、いわゆる恋愛としての「好き」という感情とは違い、
よき男女の友情だったと思っています。
(男女に友情が成立するか云々はちょっと面倒なので、割愛します。)

その子は前述の片想いの子(Nさんとしましょう)とは対照的で、
勉強は全くできず、少し筋の悪い不良仲間の一派でもありました。
ただ天真爛漫で思うがままの姿でしたから、
コミュニケーションに臆病だったまるのん少年にとっても、
話しやすくありがたい存在でもありました。

中学3年になると、どういうわけか私とKさんはいつも隣の席でした。
当時の担任の差し金だったのか、
私がKさんの勉強のフォローをして欲しいという大人の事情もあったようで、
より距離も近くなりました。
ただ、恋愛感情というより、色々なことを相談できるよき友人でした。
私もNさんへの密かな想いについても相談していました。
(KさんとNさんは全く人種が違うので2人の繋がりも薄かったですから安心でした)

実はKさんの家庭環境で父親が何かの事情でいなくなったようで、
母親と2人で生活をするようになったということを本人から聞きました。
中学生のまるのん少年は、まだそれがどんな意味かわからずにいました。
ただ、学校では時に悪ぶったりもしますが、
天真爛漫な性格もあって常に明るく振る舞っていたKさんで、
特段の変化はないように感じていました。

ただ、偶然にも塾の帰りに、犬の散歩をしているKさんと出会いました。
その時に、少しばかり涙ぐんでいるようにみえました。
学校では見せない姿にちょっと戸惑いつつ、
私も自転車を降りて、Kさんの横につき、「ようっ!」と挨拶をしてから、
暫く沈黙の中、Kさんと2人で夜道を歩きました。
学校では陽気なKさんも言葉もなく、
それは居心地が悪いというより、何が自分にしてあげられるだろうと
不器用な少年ながらも必死に考えていました。

その時は結局涙ぐんでいた理由にも触れず、
ほんの10分か20分か一緒に夜道を歩いて、
Kさんの家の前に着いた所でバイバイをしたわけです。
ギャップに戸惑い、これからKさんとどう接したらいいのか、
家に帰ってからも考えあぐねた日のことは、今も忘れられません。

次の日、学校に行くと、いつもの日常がありました。
Kさんと私はクラス内でもよく話すしよく喧嘩もするし、
まぁ腐れ縁のような受け止められ方をされていました。
どう接したらいいか、なんて余計な心配だったかと安堵もしましたが、
やはりKさんの陰の部分への心配はどこかに残っていました。


それから、なんとなく私は塾の帰りにKさんの犬の散歩コースを
通って帰るようになりました。
Kさんもまた、同じ時間に同じコースで散歩をするようになり、
2人で10分か20分かを毎晩散歩するのが日課となりました。

学校での他愛もない話をすることもあれば、
Kさんの家庭事情の話をただただ聞いて、
何か気の利いた事でも言おうと思いながら何も言えない
はがいなさを感じたりもしました。
私も志望校に向けてぎりぎりな状況だったので、
そんな緊張や不安も、Kさんの他愛もない言葉に励まされたり、
Nさんへの想いの相談に乗ってもらったり、
青春の記録に残りそうな時間を共有することが出来ました。

「勉強つまらないじゃん、なんでそんなに勉強するのか」とか、
Kさんの視点で問われる何気ない問いかけに、
今となっては理詰めで色々答えられる質問も、
まるのん少年にとっては難解なものでした。
「なんでNさんに想いを伝えないのか」という問いかけも
私のウジウジした性格へ刺激を与えてくれた助言でした。
私もKさんに対して家族との不安定な中でも、
時にひたすら愚痴に耳を貸し、
時には私も含めて学校で楽しく人生は切り拓けるよう
励ましたりしていました。

中学3年生が住宅街とはいえ、
夜道を2人で散歩する日々というのは少し奇異ですし、
まして交際をしているわけでもない2人の関係性は、
特殊だったかもしれません。
特に今とは時代も違いますからね。

そして卒業を迎え、Kさんはその後、母親と共に引っ越す事になり、
音信不通になってしまうことになります。
卒業の時に、Kさんから、
夜の散歩へのありがとうの感謝の気持ち、
これから強く生きていくという意思表明、
また、私の志望校への合格、
そして、Nさんへの検討を祈る旨のメッセージをもらったのは、
これまた大切なものとの別れな気がしました。
私も勉強だけではなく、もっと多くのことへの
学びがあって、励まされた日々でしたから、
その別れもまたとても切ないものでした。


もちろん、卒業というのは別れであると共に、
また新たな出会いへの希望でもあるわけですが、
やはりこの時期になり、卒業ソングなどを聞いてしまうと、
どうしてもこういった青春時代が思い起こされ、
40歳も近くなるとなんだか涙もろくなるものです。



Nさんとの話に戻ります。
卒業式の日、当時はまだSNSなんてありませんから、
アナログですが、卒業アルバムにお互いにメッセージを書き合って、
別れを惜しむわけですね。

私はNさんのアルバムには、恋愛としての好意には当然言及せず、
「いつも切磋琢磨して共に頑張れて嬉しかった。
お互い高校でも頑張ろう!」という趣旨の差しさわりのない(笑)コメントを書きました。

そしてNさんは私のアルバムに一言だけ書いてくれました。
「私は負けないよ。」

痺れますよね。私のコメントを読んで書いたわけではなく、
同時にアルバムを交換して書いているので、
私のお互い頑張ろう!に対してのコメントではないんです。

私のように自分の気持ちをカモフラージュして、
感謝と今後の希望をごちゃごちゃ書くのと違い、
潔いし、当時の私にとって色々な受け止め方をするものでした。

もちろん、勉強で負けないという意味もあったと思うのですが、
恐らくNさんは、「勉強」とか狭義でのことではないもっと深い意味合いで、
これを書いてくれたのだと思っています。
ドリカムだけでなく、歌詞を引用する事も多かったNさんでした。

恐らく、Nさんはもう当時にこんなコメントを書いたことすら
忘れている事と思いますが、もし再会したらどういう気持ちで書いてくれたのか、
本人から聞いてみたいな、と今でも思っています。



だいぶ端折って書いてしまいましたが、
卒業シーズンになると、別れを惜しむ光景をみると、
ついつい自分の若かりし頃の甘酸っぱい記憶をたどり、
胸がキュンキュンするものですね。

そういえば、最近はすっかり人生落ち着いてしまって、
卒業という別れもなく、ということは新たな出会いの機会も少なく、
人との繋がりという意味では単調になっているなと思います。

別に人に多く繋がり、出会いと別れの総量を増やすというより、
質の高い出会いと別れを繰り返しながら自分の人生において、
豊かさをアクセントに加えてみたいなと思います。


出会いにも、その後のコミュニティ形成にもエネルギーを使います。
そして卒業してからの繋がりという点では、
その繋がりの真価が問われます。
学校や共通趣味などの目的があるうちは繋がっていて当然で、
それがなくなった時にこそ、そのコミュニティの強さの本質がわかります。

そういう意味では出会いから卒業、そしてその後に継続して繋がり続けることは、
大変難しいことだと実感しています。

ただ、理屈での難しさを考える前に、
40歳になっても新たな出会い、そして別れも繰り返して、
豊かな人生にしていきたいなと思いました。

もちろん、私は既に既婚で子供も授かっているので、
いわゆる恋愛の繋がりとしての出会いや別れを求めるつもりはなく、
今の妻も子供とても大切で愛おしい存在ですから、
男女問わずの話です。

今回の記事では、桜の中で卒業式後の光景をみて、
自分の青春時代を思い返して、やはり女の子とのことを書いてみたくなって、
投資ブログなのに勝手に見の上話をしてみたわけです。
もう少し小説風にしてもよかったのですが、
さすがに少しは投資のことに時間を使わないといけない気もするので、
なんとなくざーっと書き殴っただけにしました。

これからもたまには身の上話をしていきたいと思います。
興味のない方がほとんどだと思いますが、
もしここまでお付き合い頂いた奇特な方は、
感想でもお寄せ頂ければ嬉しいです。

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相場も不安定ですし、
私のような素人が講釈を垂れても、
なにひとつ有益なこともないですので、
よりニーズのない身の上話でも書こうと思います(笑)。


今年の桜は、暖かな日が続いたこともあり、
開花宣言から満開まで一気に開花が進んだようです。
お花見に出掛けられた方も多かったのではないでしょうか。

私も週末に、三脚から交換レンズまで久々のフル装備で、
写真撮影に出掛けてきました。
日本人は桜が好きなんだな~と改めて実感する程に、
人で溢れ返っていたわけですが、
こんな時、私はついついメイン所ではない場所へ足を向けます。
どの場所にも絶景ポイントというものがあって、
そこは誰しもがこぞって群がり賞賛の声と共にフラッシュの嵐なのですが、
私はちょっと路地裏とかに入って、
小さな発見を求めて回遊するのが好みです。

桜の大樹が織り成す美しいフレームより、
小さな風景との出会いが嬉しくて、
1本1本の桜の木をじっくり眺めたり、
もはや桜ではない街並みを観察して、
それを写真で丁寧に撮っていきます。

どの趣味でもそうかもしれませんが、
心が心酔しているとき、様々な邪念から解き放たれます。
夢中でその小さな出会いをカメラに収めようと没頭していると、
週明けの相場どうしようとかすっかり頭から抜けるわけです(笑)。
(まぁそういう程度のポジションしか建ててないわけですからね)


でも後から振り返ると、自分の中では当たり前のようでも、
この群集を避けて、人と違う見方をしようという行動様式は
やはり少し変わっているのかもしれません。
結構、損をすることも多いのですがね。

相場における銘柄選択でもそうですが、
私はここ最近は特にですが、
いわゆる大型株には見向きもしてませんし、
個人投資家界隈で盛り上がっている銘柄についても
どちらかというと敬遠しがちです。
それは論理的には多くの人が注目していれば、
情報量の面でも多様性の処理の面でも様々な対処に
私のキャパには限度があるからなのですが、
それ以前にどうもちょっと奇異な性格からくる行動様式の要因もあるようです。

四季報を読んでいても絶景ポイントではないですが、
やはり眩しいスター銘柄ってありますが、
もちろんそういう銘柄もチェックはしますが、
それが優秀であることは当たり前とわかっていて(桜で言えば綺麗)、
どうにも具体的に売買の行動にまで帰着しない事が多いのです。

一方で路地裏で地味だけど小さな発見に夢中になるように、
四季報でも地味な業種や、自分の中で些細でもあぁよい会社だな、
と思う会社を見つけようという傾向が多いのです。
当たり前のことを言っている気もするのですが、
桜の絶景を避けて行動するのと同じように、
私にはそのようなマインドがどこかで染み付いたのかもしれません。

ちなみに、人と違うことは、
どこかでかっこいいとか、染まらない自分を美化といった
とんがった人というイメージもあるかもしれませんが、
私はむしろそれとは逆でいつももっと迎合すればいいのにと、
この行動様式について、
学生時代からずっとコンプレックスに感じていました。

桜の撮影をしにいっても、
相場に対峙をしていても、
あるいは子育てでも会社の中での処世術においても、
全てにおいて少し人と違う価値観やものの見方の中で
日々を送っているなと思っています。
もっといえば、「自分の感情」に素直なのだと思います。
皆がそうだからとか、それが当たり前だからということが、
自分自身に通用しにくいですしね。
周りからみれば大分付き合いにくい人です(笑)。

子育てにしても皆が通わせている公文にも行かせてないですし、
男の子の定番のサッカーや野球もやらせていません。
これは子供自身の興味関心によるところも大きいのですが、
自分の感情、そして子供自身の感情に素直に行動しています。

相場でも、桜の撮影でも全てそうなんですね。


そんな周りに迎合しない、悪く言えば協調性がちょっと低い、
そんな自分を、変に美化して誇らしいとも奢らず、
駄目な人間だと卑下することもなく、
そういう自分を受け入れて、どうありたいかに
素直に従ってやっていけばいいのかなと思います。


ところで、桜の撮影をして、多くの卒業生らしき姿を目にしました。
近くで卒業式があったようで、
桜の下を多くの袴姿の女子大生がちらほら歩いています。
桜の色に映える様々な袴はより風景を華やかにしてくれます。

写真映えするので、後姿でもいいから撮りたいな、
と思ったのですが、さすがに声を掛ける勇気も、
盗撮する勇気もないわけで(笑)、
妄想の中で脳裏にその光景を記憶しました。
(なんか表現の仕方が変態ちっくですね。。。)

卒業式で別れの光景なんかも目の当たりにして、
すぅーっと自分の青春時代に思考がタイムスリップしていきます。

卒業のセンチメンタルと言えば、
やはり思春期真っ只中の中学生です。
甘酸っぱい?青春時期を今度振り返ってみたいと思います。
ということで、身の上話に行く前に、一旦記事を切りたいと思います。

益々投資からかけ離れた私の青春時代の思い出なんて、
本当に単なる自己満足ですが、まぁお付き合い頂ける方は、
次の記事もお読み頂ければ光栄です。


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