投資方針に忠実に退屈な投資で資産形成

こちらのブログには久々の記事の投稿です。
企業の決算や分析、株主総会など、
投資家としての活動に直結する記事については、
noteの記事にしています。 → こちら
もちろん全て無料で、私の編集のしやすさ故に引っ越ししています。

今回は抽象的なテーマについて、つらつら思いを述べていきたいと思います。


突然ですが、私はアマチュア写真愛好家なのですが、
以下の写真をみて、どう思われますか。

IMG_0161-Edit.jpg


この写真は私の写真ブログに最近UPした写真ですが、
何の変哲もない田んぼの様子を映したものです。


綺麗な写真だなと思って下さる方もいれば、
写真を絵画調に表現するなんて邪道だと思われる方もいるかもしれません。
そもそも構図や色味を好まないなんて方もいるでしょう。
それ以前に写真に全く興味ないので、何とも思わないという無関心の方もいるでしょう。

写真に限らず音楽やスポーツ、ゲームなどあらゆるものは、
自分の心の中にある感性で好きか嫌いか、どちらでもないかということで、
物事を仕分けしているのだと思います。

この写真は、今の私にはこんな豊かでのんびりした世界が、
とても美しく、もしこれに共感して下さる方が1人でもいれば嬉しいなというくらいの気持ちで
シェアしているものですが、その根底には誰にも理解されずとも、
自分の心が満たされているという大きな揺らぎない満足度が存在しています。
そしてこれは他の誰の感性にも侵入せず、迷惑をかけずとも成立しているものでもあります。


さて、投資家界隈では、相変わらず「人を叩くこと」が横行しているようです。
私は基本的に「人を叩くこと」は自らの自信の欠如が根底にあるのだと思っています。
それは投資手法でもあらゆる言動においても全てそういうものだと理解しています。

自分と他人は違うものです。感性も違いますし、物事への志向性もまるで違います。
ですから、多くの事象において、自分ではそうしないなといった反対の立場となる人が生まれます。
これは健全ですし、自然です。しかし、だからといって自分の価値観で他人を「叩く」ことの意義が
どこにあるのか、私には理解が出来ません。
違った視点をコミュニケーションによりキャッチボールすること、
あるいは事実として誤っていることがあれば、相手が意図せず陥っているのではないかと想像して
優しく指摘を差し上げることにより、SNSといった顔がみえないツールの上でも、
建設的で創造的なやり取りが出来るものと思いますし、それが魅力なのだと思います。
決して「異」を「叩く」ことがあるべき姿だとは思えないのです。
そして「叩く」という行動しかとれないケースでは、「他人の課題」と「自分の課題」が
分離出来ていないのではないかと思うわけです。
それを自信の欠如と表現をしています。

写真の例では、仮にこの色味は好まないとか、写真のセオリーとして云々というアドバイスを超えた
「叩き」に見舞われても、私には自分自身の圧倒的な満足度がベースにありますから、
何ら気になりません。むしろ、素人写真家に対して嫌いという主張を「叩く」ことですら表現できないとしたら、
その方の写真への向き合い方とか自己の確立を疑います。
優しくこういう表現を加えるとよりいいかもとか、その方の世界感を押し付けるわけでもなく、
でも新たな見解を重ねていくことこそ、「叩く」とは違う建設的で創造的な世界に繋がると思うわけです。


かねてから賛否の議論も多いZeppyチャンネルというものがあります。
直近でも以下のような動画がUPされており、この予告だけで該当銘柄の値動きが大きくなり、
様々な心証を与え物議をかもしたわけです。




企業のことを知れるいい機会をありがとうという支持の声の一方、
値動きに影響を与えて迷惑というネガティブな意見もあったようです。
そして煽ることへの是非など言動そのものの背景にある疑義にまで可能性を上げ、
ああでもない、こうでもないと意見が噴出しているようです。
そもそもyoutuberへのアレルギーもあるようですね。

もちろん、真面目に迷惑と思っている方もいるでしょうし、
こういう機会があることをありがたいと思っている方もいるでしょう。
あるいはやっかみのような感情を抱いている方もいるでしょう。
こういった反応が出ること自体は、健全で自然な事だと思っていますし、
ご自身の課題に基づき、その良し悪しを発信することはなんら問題ないと思います。

しかし、その自己主張の範疇を超え、相手の存在そのものを否定したり、
言動を全く関係ない他人が抑制を要求したりする、いわゆる「叩き」には疑問があります。


その意図がどこにあるか、私も真意はわかりませんが、
少なくても何らかの意図があってZeppyさんもまたご自身の課題に向かって
行動を取られていると思います。
それを他人が自らの課題に沿うか沿わないかという尺度でもって、
相手の課題に侵入して主張を超えた叩きをすることはあるべきことでもないですし、
そうしなくてはならないというくらいにその方自身が行き詰っている証左でもあると感じます。


なお、異を唱えるなといっているわけではありません。
異論があるのであれば、普通に指摘をすればいいことです。
全否定して存在そのものを消そうとしなくてもいいわけです。
むしろ異論はどんどん交わされ、その中で、発信者の課題に基づき考え発信を続けられることが、
理想ではないかと思っています。



株クラでは有名な株1000さん。
私も最近ツイキャスというものを何度か拝聴させて頂き認知いたしました。
圧倒的な支持者がある一方で、徹底的に叩いてやろうという立場もまたあるようです。
しかし、私が感じる所では、そんな叩きにもめげずに自分を貫かれているように
お見受けしています。
私自身にとっては、とても共感する部分もあれば、違和感を感じるところもあるわけですが、
でもそれはとても健全なことなのです。
私と株1000さんでは向き合っている課題も違いますから。
私は株1000さんとも交流はなく、
私自身が彼のように流暢とは真逆のコミュ障なものですから、
行動には移していませんが、異なる部分を叩くのではなく、
なぜその人がそう考えるのかといったことを窺うことが出来ればいいなと思っています。
それによって、自分が自己を見つめる機会になるかもしれませんし、
そこには「叩く」という概念はやはりありません。
違うものをおこがましくも正してやろうというほどに、
自分が思い上がってることはなく、
違うものをそういう考え方もあるのかと受け入れ、自分の中で咀嚼する、
場合によってはコミュニケーションの中で理解を深める、
その上で自分の素地を確かめるくらいがちょうどよいのではないかなと思います。


ツイッターでフォローをしているあるお方。(迷惑をかけたくないので敢えて挙げませんが)
日々企業の分析に励まれていて発信を続けています。
色々割り切るところを割り切りながら、しかしご自身が大切と思うポイントを絞り、
分析を続けられています。
しかし、ある1社について内容に誤りがあったようで、指摘された方とのやり取りを通して、
これを訂正されるといったことがありました。
そのやり取りがどのような温度感で交わされたかは定かではないのですが、
その分析主の方はご自身の誤りにひどく落ち込んでおられるようにお見受けしました。
本来、一個人が分析をしたところで、誤ることはありますし、
むしろ誤りがあって当然だと思います。
その方にとってはそう映ったわけですから、
それが事実と違うのであれば、あるいは違った見方があると気が付かれた方がいれば、
それを優しく指摘すれば、違うものは違うという気付きになり、
建設的で創造的なものになると思うのです。
今回「叩き」といえることがあったかどうかはわかりませんが、
人が起こす行動に誤りがあることは当然でして(それは事実誤認というものから、
株価が騰がるかどうかの選定に至るまで)、
それを安易に他人が「叩く」という構図になってしまうのが残念です。

私は拙い理解で企業分析を進めていますが、
これに対して温かな声を頂くこともあるのですが、
一方で、分析力がまるで糞とか、ピントがずれているから儲からないとか、
いわゆる「叩き」に該当することを言われた経験もあります。
私はかねてから自分が誤っている可能性に言及し、
だからこそ、多くの方に指摘を頂き、自分の理解を正していきたいし、
もっと広く視座を持つためのきっかけになればと思って今も活動をしています。
これは私自身の課題であるわけですが、
それに対して、私自身の実力が糞とか、儲からないという指摘は、
私の課題の範疇外であり、残念な声だなと一時期受け止めていました。

しかし、私自身が投資家としてこうありたいという姿勢があって、
自分の課題が明確であったが故に、
他人の課題からの指摘(叩き)が全く気にならなくなりました。
それより、より多くの方が私の発信を通して、こういう考え方もあるよとか、
この部分は違っているのではという提起を頂くことに集中したいなと思ったのです。
それが私の課題でもあり、活動の根源でもあるからです。
残念ながら、まだそのトランザクションは少なく、なかなかお付き合い頂ける方が
少数であるのですが・・・。



「叩く」ことは自信の欠如。
これはずっと感じていることです。

Zeppyさんの動画主体の発信に対する叩きもそうでしょう。

価格形成に影響を及ぼし迷惑という指摘。
もし超長期の立場であればそこまで気にならないでしょう。
そして、短期の方からすればそういった外部要因で一喜一憂するのが短期株価であり、
そのボラで勝負をしているのであれば、とやかくいうことではないでしょう。
Zeppyさんに限らず、自称youtuberから二億貯男さん、
あるいは証券会社や株探さんなどいくらでも株価は動きます。
その一挙手一投足を叩くことでしか、自分の課題に向き合えませんかと思うわけです。
株価のボラの前に自分の対処方針が明確になっていれば、
それを活かすもスルーするも自由ですし、そこには確固たるものがあるはずです。


動画主体では考える投資家が減り、イナゴ量産の懸念があるなんてのも、
自分の課題に向き合ってる中にあれば、それをいちいち叩くような代物ではありません。
多かれ、少なかれ人は人の意見に影響を受けますし、それは私も同様です。
それがそれぞれのレイヤーでどう行動に移すかは、各自の課題感の範疇でのことです。
ですからそれぞれの受け手が自らの尺度で扱い受け止めるべきものであり、
自分自身が投資家としてこうありたいというのがあれば、
他人である投資家がどう形成されようと自分が向き合う必要のないことです。
むしろ他人が気になり過ぎるということは、自分が保ててないということにもなりうるので、
自分が自分として確立できていれば、さほど気になることではないのではないでしょうか。


「叩く」ということとと指摘をするということは紙一重かもしれません。
そしてそれは発信者と受信者の感じ方という側面もあります。
しかし顔の見えないSNSでのコミュニケーションですから、
私は闊達に意見を交わす中に、配慮があって、相互に満足度があがるような
世界があればいいなと思います。

「叩く」ことで生まれるものとはなんなのでしょうか。


日経マネー誌が毎年実施している
個人投資家調査が今年も実施されています。
ツイッターでは先週にお知らせさせて頂きましたが、
改めてブログ記事でもお知らせさせて頂きます。

★ こちらからアンケート回答できます ★

日曜日の夜は兼業の方は特に憂鬱なひと時かもしれませんが、
アンケートに答えると豪華賞品(最大10万円のギフトカード)が当たりますので、
まだ実施されていない方は、ぜひ回答頂ければと思います。


アンケートは投資家としての経験年数やスタンスを問う簡単なものや、
2018年末の相場軟調時の対応など選択肢の項目などを回答することになります。
一部コメントを記載する箇所もありますが、
全体でも10-20分もあれば十分回答出来る内容かと思います。

後ほど、誌面でも統計処理されて結果の分析記事が掲載されると思いますし、
その中で追って取材を頂く機会もあるようです。






さて、上記調査の中でもテクニカル重視かファンダ派かバリュー派かという質問もあります。
もちろん、それは固有のものではないですし、その手法に優劣があるわけではありませんが、
改めて並べられると、いったい自分は何者なのだろうかと悩んでしまったりします。
明確な区分けがあるわけでもないですし、何かの派に分けることには意味がありませんが、
自分がどういう立ち位置の投資家なのかを見失ってはいけないな、と思いました。

そもそもこの宗教ともいえる宗派について、自分は●●派だという主張することには
あまり意味がないように思います。
今回のように自分のスタンスをアンケートに回答するだけであれば差し支えがないのですが、
対人関係で自分の立場を押し付けてもいけませんし、実際そういった論争をツイッターなどでも
たまに目に触れますが、争いを起こしてまで議論がなされるべきものではないと感じます。
ですから、アンケートとして自分の流派を示すとはいえ、
それに固執しすぎることもなく、しかし、自分のスタンスをきちんと明確に持てるようになりたいなと
改めて思ったところです。

質問を受けて、自分の考えを改めて整理したり、
そういえば自分ってどんなんだっただろうか、なんて思い返すきっかけにもなりますので、
私も回答させて頂いてよかったなと思っています。

自分を省みたり、今後のことを改めて考えるきっかけにもなりますしね。


年に1回開催されるカメラ、写真好きのための祭典 CP+2019 が
パシフィコ横浜で開催されています。

投資に関連しないのですが、案外関連することもあったり、
ツイートはしましたが、少し面白い(?)こともあったので、
KYで投資ブログの記事にあげてしまうわけです。
しかし、毎回毎回なんでこんなことが起こるんでしょうね、、、

(すみません、投資ネタから逸脱してばかりで・・・)


各ブースで写真家の先生たちの話を聴くことで、
撮影時の逸話やテクニック、あるいは現像といって画像化する処理のノウハウ、
あるいは、その写真の飾り方などを提案してくれるわけです。
また、展示物では様々なツールがあってそれはカメラ本体やレンズはもちろん、
マニアックでニッチな要求を実現するための物も沢山です。

これって投資イベントでも同じなんですよね。
ただ、講師とされている先生というのが自称だったり、
評論家だったりして、写真家のように本当に自分が泥臭く運用しているような人が
どこまでいるかというのは様々な見方はあるかもしれません。
ただ、運用時の失敗やそこからどう銘柄を見極めているかとか、
保有中の様々な不測事態にどう備えるか、なんて撮影時のその逸話にも通ずるところがあります。
また、ポートフォリオを構築した後に、それをどう育てていくかとか、
その後、お金をどうやって活かしていくかなんて、
写真を撮影した後の楽しみ方にまた再投資するみたいなところにも通じます。

更に、ツール類も投資でも様々なサイトが提供するサービスや、
最近では新興の様々なイノベーティブなツールも出て来ているのも似ています。

別に投資に強引に紐づけているわけではないのですが、
無意識に投資のことが頭のどこかに過ってしまうあたりは、
少し病んでいるのかもしれませんね(笑)。

ある風景写真家の講話で、撮影の逸話の話を伺いました。


テントを担いで数日、山に籠ることも多いようですが、
昨今の流れで、ドローンを活用することもあるようです。

きれいな写真を撮るために全身全霊を注いでるそうですが、
やはり安全は最優先ということで、普段は一人で山に入るものの、
チームを編成して安全第一でやっているそうです。
山には不測の事態が沢山あって、だからこそ万全の態勢が必要だし、
あらゆる現象をよくよく観察して、安全を第一にする。
その中で、その風景がその後どうなるかを予測して、
それをじっくり考えて、フレーミングを決めると。
あとはひたすら待つのみ。
でも長くは待たない。状況が変わらなければ、転々と次の構想にチャレンジしていくと。
そんな中で、本当に自らが望んだ一瞬を切り取れることなんて稀で、
ほぼ失敗なんだとか。
でも、その成功の1枚がその失敗を全て吸収してくれるくらい、
改心のできであれば、仕事になるのだとか。

う~ん、こんな逸話を聴いていると、
やっぱり投資みたいじゃないですか。

私はよく観察した後に、ひたすら待ってしまう投資スタイルですが、
適度に損切りを重ねていきながら、多くの負けがあっても、
少しの勝ちがあればいいという事を表現しているようです。
そもそも最初にリスクを検知して、
山に入らないという選択ばかりしている気もするのですがね。


投資は統計的な話でもあり、定量的な評価の世界だと思うのですが、
写真という定性的な感情の表現の世界でも本質的には同じなんだなと思います。

リスクやリターンをよくよく観察して、
あるところにベットして、あとはどこまで待つか、ある程度見きりながらやるのか、
そのスタンスの違いはあれど、とても通ずるものがあるように感じました。

投資にしろ、写真撮影にしろ、
その成果に喜びを感じるわけですよね。
お金が増えれば嬉しい、企業と共にある実感が伴えばそれも嬉しい。
写真でも自分の表現が出来た瞬間は感動するし、それを誰かに共感してもらえると嬉しい。

ただそれって、得るためにはそれなりの努力、我慢、チャレンジ・・・といったことが必要なわけです。
そういうハードルを乗り越え、得られるものだから、嬉しいし、いいねという客観的な評価も得られるわけです。

自己満足でもなんでもいいのですが、
やっぱり自分なりにそういったハードルを超えようと思うことが
日々の生活の活力になるんだろうと思います。

そしてやはりそれは人と比べるものでもないし、
競うものでもないのです。

投資では人を妬むとか日常でよく見かけますが、
写真の世界ではあまりそういうことがなく、素直に他の方の作品に共感し、感動します。
投資はお金で定量的なものがみえてしまうのがよくないのかもしれませんが、
本質的な構造は同じだと思うので、写真のように投資も自分の中で楽しめるようにありたいです。
そうあるために、やはり私は企業と共にあることを重視したいし、
人により重きを置きたいと思うのです。

それは正しい道ではないかもしれません。
シュールな写真のように理解を得られないこともあるかもしれませんが、
それがいいなと改めて思ったのでした。


さてカメラについてですが、
今年はいよいよフルサイズミラーレスが躍進してきました。
各社、だいたい中級や上級機種でモデルチェンジの参考出品とかあるのですが、
キヤノン、ニコン共に一押しはひたすらフルサイズミラーレスです。
ステージ上で入れ代わり立ち代わり、先生たちも推しまくりです(笑)。

専用レンズも拡充はしていくようですが、
今年、シュッピンが苦戦を強いられた市況変化が来年もまだトレンドが変わりそうで、
果たしてマニア層が本当にシフトするのかは予断を許さないかなと感じました。
私個人としては、フルサイズとAPSの従来の一眼から
ミラーレスを加えるなんて考えられないのですが、どうなるでしょうかね。

他にもいろいろ書きたいことはあるので、
そろそろ自粛しておきます(今更ですが)。


それで、実はまた面白いというか恥ずかしいことがありました。。。
まぁ結果、嬉しいことなのですけどね。


こういう場には多くのブースにコスチュームを纏ったコンパニオンさんがおられます。
彼女たちはプロなのでポージングもとってくれるので、
ガチのストロボ付けたカメラ小僧が群がるわけですよ。

それで、私も一応レフをぶら下げています。
ただコンパニオンさんを撮ることは通常あまりないので、ストロボもつけてなかったんです。

ところが、MCJでぼろ儲けしている個人投資家の事も頭にあり、
そもそもパソコン欲しいという事情もあり、
更にブースの講座が魅力的でマウスコンピューターのブースに結構入り浸っていました。
そして、コンパニオンさんの衣装がかわいくて、
まぁ目の前で講座終了後、ポージングしてくれるシューティングタイムがあり、
そうなれば自然にシャッターを押すわけですよ。
まぁ押してしまえば、私も烏合の衆です(笑)。






当然のことながら、キュートな笑顔に癒され、
胸に望む谷間に魅了され、
そんな卑猥な感情を含んだあるがままの自分をツイートするという暴挙に出て、
そして見事にご本人からいいねが来て、青ざめるという(笑)。






そして、ご本人から、白状お待ちしていますとのリプがぁぁぁ。

わかりますかね、このいい大人がおっぱいと喜んでたら、
まさかのご本人からいいねがきて、白状に来るの待ってるね、ニコっって。
嬉しいような、恥ずかしいような、申し訳ないような。。。

で、言葉通り白状しにいくのか、受け流すのか、悩みましたよ。
こんなところにきて、こんなことで悩むなんて・・・(笑)。

で、結局、失うもののない私は白状しにいきました。
というか、何にそんなに恐れているのと思うかもしれませんが、
皆さんとても美人さんで話すのも恐縮してしまうくらいなんですよ。

ひと時の葛藤の後、声がけさせて頂き、
そして彼女たちはアイドルのようなものですからもちろん喜んでくれると。
それがお仕事でもあるのですから当然なのですが、
まぁ単純ですから、私も応援したいと思ってしまうわけで、
フォローするという(笑)。

とりあえず、次のパソコンはマウスコンピューターですね~
いや、実際、ハンズオンで色々いじりましたが、値段も高いですが、
構成もよくて気に入りましたよ。

帰宅後に、慣れない女性のポートレートの現像を施し、
ご本人に写真データをお送りして、喜んでいただけました。

めでたしめでたし。

最近、つくづく自分は考察力が足りないなと思っています。
ある事象に対してどうしても表面的な部分で判断を下したり、
逆に細部の無視してよいところに目を向け、
本質とずれた思考をしていたりする自分を実感しています。

そして、そんなちっぽけな私のことをツイッターで多数フォロー頂いたり、
あるいは某スレではタイトルに名前を付してまで叱咤激励を頂き、
色々な意味で本当にありがたいことだと感じています。

私も普通の人間ですから、多くの方にみられていると思うと、
どこかで認められたいとか、有益な情報を共有したいとか思うわけです。
しかし、冒頭の通り、私には特筆すべき得意なことはありません(残念っ!)。

騰がる銘柄はわからないですし、市場トレンドの読み方も知りません。
テーマも追いかけていませんし、
広く銘柄を知っているわけでもありません。
特殊な指標の見方や情報処理方法はもちろん、
有能なツールをご提供することも出来ません。
あるいは社会問題や時事ネタ、歴史を考慮した示唆のある展望も持っていません。
金融リテラシーも決して高くなく経済ニュースも聞いてなんとか理解する程度です。

---全てにおいて偏差値50の凡人なのです。
その上、現状からの上昇志向もなく、
これらのことを知り特筆すべき特技を身につけよう!という
マインドもありません(終わってますね・・・(笑))。

別に自分を卑下しているわけでも謙遜しているわけでもないんです。
これが実情であり実感だということです。
私はわかったふりもしないようにしていますし、
自分のことを意識が高いなんて思ったこともありません。
むしろ色々な基本的な教養が不足していたり、
前述の通り意識もむしろ低い系かもしれません(笑)。

そんな私なので、本来は自己対話の意味合いを中心として、
細々とSNSを続けていけばよかったのですが、
幸いにしてか不幸にしてか、幾ばくかの方々にご覧頂けるようになりました。
しかし、実は中身の薄い凡人の運営するSNSだったというわけです(失笑)。

ただ、ここで捻くれていても仕方ありません。
そもそも私がSNSを始めたのはどうしてだったのかを思い返すと、
投資家として未熟な自分を晒すことで、自分自身や他者の目線で
牽制効果を持たせるためだったり、
あるいは決算フォローなどで自分自身をごまかさないようにするためでした。
私のような凡人がクローズドにやっていては、
ルールの逸脱や目先に右往左往するなんて必至だったわけで、
それを少しでも軽減したいし、そのありのままを見て頂き、
多くの方々に叱咤激励を頂くきっかけにもなればと考えたわけです。

このような原点に返った時に、
改めて、認められようとか有益な何かを共有しようなどという発想は、
そもそもが自惚れなのだと認識を持つべきだなと思いました。

特にツイッターでは、即時性や多くのフォロワーの方へ
無意味な投稿を続けることを遠慮しないとと遠慮してみたり、
ブログもついつい差し障りのないミニマムな運営に最近は特に注意を払ってきました。
しかし、所詮な凡人の運営するSNSですから、
身丈にあったローカルな情報発信なのだと開き直り、
もう少し自分本位でいいのかなと思うようになりました。

というわけで、これまで以上に配慮のない愚考で自分本位な運営をしたいと思います。
特にツイッターはこれまで以上に無駄な投稿も増えると思います。
ですので、遠慮なく、フォローを外す、ミュート、ブロックなりして頂ければと思います。


なお、個人投資家の方々は皆さん優秀ですが、
一方で私のようにいわゆる凡人だと自認されている方もおられると思います。
そういった凡人でも投機的な賭けのようなことをしなくても、
あるいは忙しなく機敏な対応を取らなくても、
投資を楽しめる(儲かるとはいってません(笑))ということを
今後も身をもって示し続けていきたいと思います。


今回もまた、全く儲かりそうな話とは無縁で申し訳ありません。
そして今後も儲かりそうな事は書けないし、書かれない点、ご了承くださいませ。
それでもお付き合いして下さる方は、今後もよろしくお願いいたします。


私はSNS上でしがない投資家として、
SNS発信を続けていますが、なぜこんな行動を続けているのでしょうか。
自分は何を目的に自らの言動の一部を記録し、発信し、
時には非難を浴びたり揶揄をされながらも、それを続けているのか。
そんなことを改めて立ち返ってブログやツイッターをやられている方は
少ないかもしれませんが、なんでだろうと思うきっかけもあり、
少しその辺りの考えを記してみたいと思います。
(と、このことを書くのもまた何でだろうと思うわけですけど)


ベストセラーになった「嫌われる勇気」によって
アドラー心理学は広く認知されるようになりました。
私もミーハーですから、この書物をきっかけに
本格的にアドラー心理学の考えに影響を受けています。

アドラー心理学はその捉え方や自分自身へどう映すかというのも
人それぞれではありますが、
ある意味では、とても個を重視した考え方だと認識をしている所です。

アドラー心理学では自分と他者を明確に区別しているように感じます。
自分の課題と他者の課題というものは明確に異なるものだと扱い、
自分の言動は自分の課題に向かってなされるものであるべきであると理解しています。
ですから、他者の課題については放っておけばよいということです。
このように、アドラー心理学の捉え方を実践するとどんどん自己中心的な発想になり、
これが「嫌われる」ということと紐づいているのだと思います。
ただ、自分でそんな嫌な奴であるわけがないと思いつつも、
改めて自分の心に問いかけてみると、
確かに自分のあらゆる行動は、自分自身のためになされていると解釈すると、
色々と合理的だと感じるわけです。

サラリーマンとしての振る舞い方にしても、
父として子供に向き合う日々においても、
投資家として投資活動やSNSで情報発信をしていることについてもです。


しがない投資家として、私もSNS上で様々な意見に学ばせてもらったり、
あるいは貴重なご意見を頂くこともあれば、陰で悪口を言われることもあるのですが、
ここでも自分の課題と他者の課題という発想で切り分けてみると、
自分の行動の源泉にはどんな目的があるのだろうかと考えます。

私は自分の行動に対して、何を課題と認識し、何を目的に行動するのかと
客観的に自分をみることが多くなりました。
ある意見に同調するとき、あるいは反対に異を唱えるとき、
そこでは自分が自分であるというアイデンティティのようなものを
改めて主張し確立したい想いがあるのだと捉えています。
相手への共感は自分への信任に向き、
相手への非難は自分への肯定に向かっているように思います。

ちょっと何を言っているのかわかりませんかね・・・(笑)。


投資クラスターと呼ばれる多くの優秀な方々も、
その考え方や手法など様々なバックグラウンドを持ち、
自分の課題に向かって日々活動し、
自分自身の目的を果たすために行動されています。
こう書くと、他者への善意のために活動しているんだとか、
周囲の意見に耳を傾けてコミュニケーションを図る中では
「自分」だけではないというご意見もあろうかと思います。
ですが、やはりまずは自分なのだろうと思うわけです。

他者の課題は他者自身がそれぞれで対処すればよいことであり、
自分がどうするかに目を向けて行動するべきだし、
元来、行動はそのようにモチベートされているんだと解釈すると
色々なことがすぅーっと理解できる気がします。

投資手法でも宗教の違いで、是非が議論されることもあります。
あるいはある行動が他者から見れば煽りになりけしからんとか、
結果も出さない人間が言い訳並べるのは見苦しいというご意見もあります。
結果を出されている方を神格化したり、
あるいは声の大きい方をカリスマとして称えたりすることもあります。
ドヤっている人をみて目を細める人もいれば信奉する方もおります。

これら全てが自分の課題ではなく
他者の課題に介入する姿勢だからこそ生まれる感情なのだと思います。

他者の意見はその方のライフスタイルで形成され、
その意見を主張される行動そのものがその方の課題対処なのです。
他者のその行動の目的がどこにあるかなど自分には関係はないし、
それは目を向けても意味がないことだと解釈をすればいいのです。
私は自分の課題に対処すればよく、
他者の課題に言及も配慮も意見も賞賛もする必要がないんだというのが、
今の私の解釈です。
(こう書くととても冷徹な奴という感じになりますよね・・・)

ここで問題になるのは、ではなぜ私はSNSで発信するのか。
自分の課題対処にのみ集中して、他人からの賞賛も叱責も受けずに、
自己中心的な道を歩む、つまり嫌われる勇気を持って望むというのなら、
わざわざSNSで情報発信する必要なんてないじゃないか。

この問いにはまだ答えが出ていません。

このブログもしがないサラリーマンが投資を始めていく軌跡を
ありのままにお伝えし、
共感を頂いたりあるいは諸先輩方からありがたいアドバイスが
頂ければと続けているわけですが、
この恩着せがましい、そして図々しい動機も、
やはり自分と他者の立場が曖昧で、
どこかで自分を認めてもらいたいという発想があるような気がしてなりません。
自分を認めてもらうことが、私の課題なのか、目的なのか。

改めて、どう投資家として振る舞い、そしてSNSユーザーとなるのかを
考えてみたいなと思っています。

最後に、アドラー心理学では個を大事に扱いますが、
決して他者との関わりを否定していません。
思いやりを持ち、良好な関係を構築する素晴らしさも説いています。


こういったことも踏まえて自分が投資家として、SNS発信者として、
あるいはサラリーマンとして、親として振る舞うべきか向き合っていきたいと思います。


※アドラー心理学の捉え方に誤りもあるかもしれませんが、
私なりの解釈に沿って書いております。
嫌われる勇気というタイトル通り、こういう思考プロセスを持とうとしていること自体を
ネガティブに捉えられる方もおられるかもしれません。
なんだか気難しい奴、冷たい奴、つまらな奴と思われたなら、
それはそれで結構でございます。
◆最近のお気に入り